JRA障害レースで推定“30馬身差”の衝撃! シンボリクリスエス、オルフェーヴル……思い出される怪物たちの圧勝劇
14日(日)、阪神1Rの障害オープン競走で近年まれに見る圧勝劇が起こった。主役を務めたのは、6番人気のブレイクスピアーだ。
レースはスタート直後、最初の障害で単勝1.5倍のタガノアンピールの鞍上・白浜雄造騎手が落馬し、競走を中止。序盤から波乱ムードが漂った。先手を奪い、結果的に逃げ切ったブレイクスピアーは、それまで障害では12戦1勝で、このレースでも伏兵の1頭にすぎなかった。
しかし積極的にハナを奪ったブレイクスピアーは、ベテラン熊沢重文騎手を背に後続を常に15馬身前後引き離し、最終コーナーを回った時点ではリードを20馬身以上に広げていた。直線ではさらに後続を突き放し、圧巻の逃げ切り勝ちを収めた。
「ゴール前最後の200mはめったに見られない“引き”の映像でした。2着以下の争いは混戦でしたが、カメラが引きすぎたため、映像では2着争いに加わっている馬の判別ができないほどでした。障害レースでも、ここまでの“大差”は久々ではないでしょうか。
2着メイショウタンヅツとのタイム差はなんと『5秒6』。発表された着差はもちろん『大差』でしたが、1秒がだいたい5~6馬身といわれているので、単純計算すると2着馬に『約30馬身』差をつけたということになります」(競馬誌ライター)
2着を5秒以上離しての勝利はJRAでは2000年以降初めてだったが、1990年代には5度記録されている(全て障害レース)。なかでも語り草となっているのは、シンボリクリエンスが8秒6差(推定50馬身差)をつけて圧勝した1992年の中山大障害・春だ。この時の「8秒6差」は、1990年以降では最も大きい着差となっている。
ちなみに1990年以降の平地G1競走で2着馬につけた着差をランキング形式にしてみると、その時代を彩る名馬たちが並んだ。
【2着馬との最大着差ランキング、1990年以降の平地G1】
1位 1秒5(9馬身)シンボリクリスエス/2003年・有馬記念
1位 1秒5(9馬身)タップダンスシチー/2003年・ジャパンC
3位 1秒3(8馬身)オルフェーヴル/2013年・有馬記念
4位 1秒2(7馬身)ウオッカ/2009年・ヴィクトリアマイル
5位 1秒1(7馬身)イングランディーレ/2004年・天皇賞・春
5位 1秒1(7馬身)クロフネ/2001年・ジャパンCダート
5位 1秒1(7馬身)ナリタブライアン/1994年・菊花賞
8位 0秒9(5馬身)スペシャルウィーク/1998年・日本ダービー
8位 0秒9(5馬身)ナリタブライアン/1994年・日本ダービー
8位 0秒9(5馬身)ビワハヤヒデ/1993年・菊花賞
最大着差は2003年ジャパンCのタップダンスシチーと同年有馬記念のシンボリクリスエスがそれぞれ記録した1秒5(9馬身)差だった。3位は今も記憶に新しいオルフェーヴルの引退レースだ。上位のほとんどを中長距離レースが占めるなか、マイル戦で7馬身差をつけた4位のウオッカのヴィクトリアマイルも特筆すべき勝ちっぷりといえるだろう。
三冠馬ナリタブライアンが唯一、2度のトップ10入りを果たしたが、意外にもディープインパクトはG1で0秒9以上離して勝ったことがなかった。
日曜の阪神1レースは、そんな名馬たちの圧勝劇を思い出させてくれるレースだった。