JRA菊花賞(G1)西山茂行オーナーが語った「異端の逃亡者」誕生秘話。グレード制導入以降「唯一」逃げ切ったセイウンスカイの伝説【特別インタビュー】
今週25日に京都競馬場で行われる菊花賞(G1)。史上3頭目の無敗三冠を狙うコントレイルに対し、逆転候補の筆頭格として挙げられているのがバビットだ。
ラジオNIKKEI賞(G3)、セントライト記念(G2)と重賞連勝中のバビット。だが、その脚質から「菊花賞を勝つのは極めて難しい」と言われている。何故なら、菊花賞が行われる淀の3000mを逃げ切るのは、“ほぼ”不可能だからだ。
だが、そんな「至難の業」を実際にやってのけた馬がいる。1998年のセイウンスカイだ。
1984年のグレード制導入以降、菊花賞の逃げきりを完遂したのはセイウンスカイだけであり、グレード制導入以前でも1959年のハククラマまで遡る。それも勝ち時計3:03.2は、当時の世界レコードだった。これだけを見ても、セイウンスカイが如何に異端の怪物だったのかが窺える。
そんなセイウンスカイだが一歩間違えれば、競走馬としてデビューしていなかった可能性もあるほど、デビュー前はエリートとは程遠い存在だった。
日本競馬におけるハイペリオン系「最後の大物」といわれる異端の怪物は、どのようにして、そして何故、誕生したのか。父シェリフズスターを導入し、セイウンスカイを世に送った西山茂行オーナーに“伝説”を紐解いてもらった。
――菊花賞も近いということで、1998年の菊花賞馬セイウンスカイについてお聞きいたします。西山牧場では、まず父のシェリフズスターを購入されていますね。
西山オーナー 懐かしい話ですね。シェリフズスターは種牡馬として購入したんじゃなくて「ジャパンC(G1)を勝とう」と思って買いました。
――現役の時に購入されたのですね。確かに、シェリフズスターはコロネーションC(G1)サンクルー大賞(G1)を連勝するなど、欧州の一流馬でした。当時のジャパンCは、まだまだ外国馬が圧倒的に強い時代。十分にチャンスがあったと思います。
西山オーナー ところが輸入直前に屈腱炎を発症して。それで種牡馬として引き取ることになって。シンコウラブリイ(1993年マイルCSの覇者)と同じポッセの血統(シェリフズスターの父と、シンコウラブリイの母父)で「日本でも受けるかな」と思ったんだけど、本当に(産駒が)走らなくて……。
西山牧場でもたくさん付けたんだけど、まったく走らなかった。結局、セイウンスカイの世代にも27頭の産駒がいたんだけど、ちょうど牧場の社長が私に切り替わった時で「3頭」だけ残して、残りは全部売却しました。
――その3頭の中から、セイウンスカイが出たわけですね。オープン勝ちまで出世したセイウンエリアもいましたし、やはり西山オーナーの方で厳選された期待馬を手元に残したんでしょうか。
西山オーナー いえ、そりゃ単なる「運」ですよ。
――運なんですか!? 西山オーナーの相馬眼とか……。