オジュウチョウサンの「殿堂入り」は何故、極めて難しいのか。JRAの手に余った障害王グランドマーチスの伝説
障害馬としてのグランドマーチスが、如何に突出した絶対的な存在であったのか。それは本馬が障害9連勝を達成したことも然ることながら、そのあまりの強さにJRAが「競馬のルールを改変する」に至った経緯に象徴されているだろう。
当時、春と秋の2度に渡って開催されていた中山大障害には「中山大障害を勝った馬は2kg増」というルールがあった。しかし、グランドマーチスが中山大障害5連覇をかけて挑んだ1976年に突如「中山大障害を1勝ごとに2kg増」にルールが変更される。
この唐突なルール変更に直接関係があったのは、当然4連覇中だったグランドマーチスただ一頭。結局、本馬は「2kg×4」の8kg増の斤量66kgで出走し、他のライバルは皆58kgだった。
常識的に考えれば勝てるはずもないのだが、グランドマーチスはそこでも2着に奮闘する。しかし、無理が祟ったのか次走のレース中に骨折し、そのまま引退を余儀なくされてしまった。
当然、これで黙っていないのが当時のファンやマスコミだ。
あまりにもピンポイント過ぎるルール変更に、グランドマーチス「1強」を快く思わない馬主会の圧力や、先述したハイセイコーの記録が塗り替えられるなど、障害馬としては目に余る活躍を良しとしなかったJRAの陰謀ではないかと騒ぎ立てた。
結局、JRAは「障害レースの興味を増し、障害馬資源の充実を図るため」と説明するに留まったが、障害馬としては異例の引退式が行われるなど、グランドマーチスは間違いなく障害馬の領域を超えた特別な存在だったといえる。
その後、障害馬として唯一の殿堂入りを果たしたグランドマーチス。ただ、そこに大きな「遺恨」を残してしまったJRAの”温情”があったのなら、オジュウチョウサンが殿堂入りを果たすのはますます難しいといえるだろう。