JRA武豊「単勝1.0倍」できさらぎ賞(G3)を圧勝した悲運の名馬。競馬の神様も「フジキセキ以上の将来性」と大絶賛した開拓者の記憶
7日、中京競馬場では第61回きさらぎ賞(G3)が開催される。1番人気濃厚のヨーホーレイクに騎乗するのは、このレース7勝目を狙う武豊騎手だ。
武豊騎手のきさらぎ賞初制覇はデビューからちょうど1年後の1988年2月。2勝目は、その7年後の1995年2月5日だった。
その直前の1月17日には阪神・淡路大震災が発生。当時は日本中、とりわけ多大な被害を受けた関西圏には重苦しい空気が張り詰めていた。
そんななか行われたきさらぎ賞。単勝支持率74.5%(単勝オッズ1.0倍)の断然1番人気に支持されたのがスキーキャプテンという芦毛馬だった。
スキーキャプテンは、当時25歳の武豊騎手とのコンビで、前年秋にデビュー。強烈な末脚を武器に2連勝を飾ると、朝日杯3歳S(G1)に駒を進めた。
そのレースで1番人気に支持されたのは、サンデーサイレンスの初年度産駒で“幻の三冠馬”とも呼ばれるフジキセキで、そのオッズは1.5倍。スキーキャプテンは、それに次ぐ2番人気で、4.3倍だった。その数字からスキーキャプテンはあくまでもチャレンジャーだったことがうかがえる。
レースは終始、経済コースを進み直線で最内に進路を取ったフジキセキが、鮮やかに抜け出し先頭でゴール板を駆け抜けた。一方、スキーキャプテンは、10頭立ての最後方から4角で大外に持ち出し、直線では内にささりながらも1頭だけ違う脚色でフジキセキをクビ差まで追い詰めた。
レース直後には、当日の競馬番組で解説を務めていた「競馬の神様」こと大川慶次郎氏に「今日の一番(レース)だけでいえば、(勝ったフジキセキより)スキーキャプテンの方が将来性を感じました」と言わしめた。
そのスキーキャプテン陣営が3歳(当時表記は4歳)の始動戦に選んだのがきさらぎ賞だった。レース前からファンの注目はその芦毛の馬体に集まっていたのは言うまでもないだろう。
そして、このレースの実況を務めたのが関西テレビの杉本清アナウンサー(当時)だった。この日も後方からの競馬となったスキーキャプテンに対し、杉本アナは常にスキーキャプテンを意識しながらの実況を展開。直線に入ると、大外に進路を取ったスキーキャプテンに対し、テレビカメラは一瞬先頭を走る内の馬を捉え、スキーキャプテンは画面の外に……。すると、杉本氏から「おっと!画面外だ!外だ、外を見せてくれ!」という名文句が飛び出した。
スキーキャプテンはそんな実況もお構いなしに直線半ばであっという間に先頭に立つと、誰もが勝ちを確信する脚で快勝。杉本アナから「ケンタッキー(ダービー)へ夢が広がる!」という言葉が飛び出したのは残り200mのハロン棒を過ぎたところだった。