JRA蛯名正義「大本命」武豊を破る生涯最高G1制覇もガッツポーズを自重した理由。「昔の悪夢を思い出しちゃって(笑)」競馬に残る”赤っ恥”とは
今週末28日、ついに蛯名正義騎手が引退する。
JRA通算2539勝、重賞129勝(G1・26勝)、2度に渡る凱旋門賞(仏G1)2着など「世界の頂点に最も迫ったジョッキー」としてあまりに有名であり、2001年にはリーディングにも輝いている歴史的な名手だ。
そんな蛯名騎手が通算21171回の騎乗の中で「会心の騎乗」と挙げているのがウメノファイバーで制した1999年のオークス(G1)だ。
JRAの『蛯名騎手引退特設サイト』で、本人が「トゥザヴィクトリーという強い大本命がいて、僕の馬も非常にいい馬だったんですけど、距離的には1600m(がベスト)。だけど(得意)コース的には東京で……非常に難しかった」と振り返ったレース。
蛯名騎手が騎乗したウメノファイバーは後方待機のまま最後の直線に懸けると、先に抜け出した武豊騎手のトゥザヴィクトリーを大外から強襲。ゴールギリギリのところで先頭を捉え切った。
当時の蛯名騎手にとっては、これがクラシック初制覇。桜花賞(G1)6着からの逆転勝利は、勝利騎手インタビューで「思い通りに乗れた」と自画自賛する内容だった。
しかし、その一方でそんな会心のレースだったにもかかわらずゴール後、あえて派手にガッツポーズをしなかったことには理由があったようだ。
「『また、替わっていないのかなあ』と昔の悪夢を思い出しちゃって(笑)」
蛯名騎手が「また」と振り返ったのは当時から4年前、1995年の天皇賞・春(G1)に違いない。伏兵のステージチャンプに騎乗した蛯名騎手は、やはりゴール前で大外からライスシャワーを強襲。
2頭の脚色が歴然の差だったこともあってゴール直後、勝利を確信した蛯名騎手は喜びを爆発させて何度もガッツポーズ。ステージチャンプが天皇賞馬になれば、当時の蛯名騎手にとってもG1初制覇という歓喜の瞬間だった。
しかし、長い写真判定の結果、無情にもライスシャワーに軍配が上がる。当時26歳と若き蛯名騎手のゴール直後のパフォーマンスは「幻のガッツポーズ」として、今なお語り継がれることに……。ちなみに当時、同年にデビューした武豊騎手はすでにG1・17勝、このレースでも3着ハギノリアルキングに騎乗しており、同期の“幻の快挙”を間近で見ていた。
そんな武豊騎手の1番人気を破ったウメノファイバーのオークス制覇。それでも蛯名騎手がガッツポーズを自重したのは、そんな苦い経験があったからだろう。なお、蛯名騎手は翌1996年の天皇賞・秋(G1)で待望のG1初制覇を飾っている。
あれから26年。競馬界のレジェンド武豊騎手の背中を追い続けた蛯名騎手は51歳となり、とうとうムチを置く瞬間を迎えようとしている。積み上げたG1勝利は26に上るが、その超一流の騎手人生は、紛れもなく競馬史上最高の天才の陰に隠れた苦労人のものだった。