JRA武豊「生きた心地がしませんでした」松田国英VS角居勝彦! 名伯楽2人の引退で蘇る「師弟対決」の記憶
28日、昨年70歳を迎えた松田国英調教師が、JRAの規定した定年制度により引退する。
また、松田国厩舎の下で調教助手として活躍し、自身でもG1を「26勝」した角居勝彦調教師も、家業の天理教を継ぐことを目的として時を同じく勇退する予定だ。
角居調教師は、『東スポWeb』の講談師・旭堂南鷹氏のインタビューにて「一番強かった馬は」の質問に対し、「ウオッカだろうなぁ。G1・7勝という実績もモノをいっていますよね」と回答。現在、種牡馬として大活躍のエピファネイアや、砂のディープインパクトと呼ばれたカネヒキリなど、これまで多くの活躍馬を送り出した角居調教師にとっても、ウオッカはやはり「格別」だったということだろう。
1937年のヒサトモ、1943年のクリフジに続き史上3頭目、戦後初となる牝馬での日本ダービー(G1)制覇。歴史に名を残したウオッカとの記憶は、深く心に残っているようだ。
これまでで「難しかったことは」という質問では「ウオッカを立ち直らせた時かな」と語った角居調教師。
ウオッカについて「僕たちの馬じゃなくて、ファンの馬になった」と表現している。
当時、牝馬による64年ぶりの日本ダービー制覇を成し遂げたウオッカに、競馬ファンは大いに沸いていた。
しかし、続く宝塚記念(G1)では、1番人気に支持されるも8着に惨敗。3歳牝馬三冠の最後となる秋華賞(G1)でも、ライバル・ダイワスカーレットのみならず、レインダンスにも後塵を拝した。
角居調教師は「いろんな声が耳に入ってくるんだよね。どこを使うのが正解か分からなくなって、馬にリズムを合わせるということが分からなくなっちゃってた」と当時を振り返る。
次走に選ばれたエリザベス女王杯(G1)を、レース当日の右関節跛行により取り消し。リズムの狂ったウオッカは、ジャパンC(G1)4着、有馬記念(G1)でも11着と敗れると、G2レースの京都記念ですら6着と勝利できなくなっていた。
復活の兆しが見えたのは、海外遠征で出走したドバイデューティーフリー(G1)。ダービー後、2000m以上の距離を使われてきたウオッカであったが、「1777m」と距離を大幅に短縮して挑んだレースである。
デビュー2戦目以降、手綱を執り続けた四位洋文騎手(現・調教師)に替わり、鞍上を務めたのは武豊騎手。レースでは外目を追走すると直線でもしぶとく食い下がり、牡馬の一線級相手に4着と健闘した。
帰国後はさらに距離を短縮し、桜花賞(G1)以来の1600m戦、ヴィクトリアマイル(G1)に出走。これを2着と健闘すると、同じくマイルの安田記念(G1)では、日本ダービー以来約1年ぶりの勝利を飾った。
完全復活を果たしたウオッカは、再び距離を延長した毎日王冠(G2)で2着。後に歴史的一戦として語られることになる天皇賞・秋(G1)へと駒を進める。