JRA 田原成貴に導かれたマヤノトップガンが乾坤一擲の大逆転! 天皇賞・春(G1)横山典弘、武豊相手に一世一代の勝負を仕掛けた撃墜王の伝説
5月2日、阪神競馬場では伝統の一戦・春の天皇賞(G1)が行われる。古馬ステイヤーのNO.1を決める淀の長距離戦だが、京都競馬場改修工事の関係で今年は阪神での開催となる。
阪神で行われる春の天皇賞は、ビワハヤヒデとナリタタイシンがワンツーフィニッシュを決めた94年以来となる27年ぶり。2頭にウイニングチケットが加わったこの世代は、3頭の頭文字を取ったBNWといわれていた。
三強対決というのは三国志を連想させることもあるのだろう。蜀の劉備、魏の曹操、呉の孫権が派を争った戦いは、今でも根強い人気を誇っている。
淀の3200mでライバル3頭が熾烈な覇権争いを繰り広げたのが、1997年にマヤノトップガン、サクラローレル、マーベラスサンデーが激突した第115回の天皇賞・春だった。
3頭が一堂に会したのはこれが2度目であり、初めての戦いは前年の第114回天皇賞・秋。このときは、初のG1制覇を遂げた蛯名正義騎手が手綱を執ったバブルガムフェローの前に3頭はマヤノトップガン2着、サクラローレル3着、マーベラスサンデー4着と敗れている。
その後の有馬記念(G1)ではサクラローレルがマーベラスサンデーに完勝し、折り合いを欠いたマヤノトップガンは7着に完敗。天皇賞・秋ではサクラローレルに先着したものの、これまで3度の完敗を喫していたマヤノトップガンの田原成貴騎手は、逃げ先行するスタイルから一気の脚質転換を決断する。
これまでの積極策とは異なり、思い切った後方待機からの追い込む競馬で前哨戦の阪神大賞典(G2)を制しての臨戦。マーベラスサンデーは大阪杯(G2・当時)を完勝し、脚元に不安のあったサクラローレル陣営は有馬記念からの直行を選択した。
16頭立て芝3200mの舞台で行われた頂上決戦は、単勝2.1倍のサクラローレルが1番人気の支持を集め、3.7倍のマヤノトップガンが2番人気、4.1倍のマーベラスサンデーが3番人気となった。
レースはビッグシンボルが逃げ、これといって競り掛ける馬もいなかったことからスローの流れとなる。中団につけたサクラローレルをマーベラスサンデーがピタリとマークした。マヤノトップガンはゆっくりとスタートをしたものの、掛かり気味になって前に行きたがったが、鞍上の田原騎手は馬群の内に閉じ込めることで折り合いをつけることに成功させる。
淡々とした流れに急激な変化が訪れたのは残り1000mを過ぎた辺り。横山典弘騎手のサクラローレルが突然動き出し、3コーナー過ぎには早くも先頭から2番手のポジションまで上がって行ったのだ。
勿論、これを徹底的にマークしていた武豊騎手にとっては絶好のチャンス。この機を逃すまいとマーベラスサンデーと追撃を開始する。
最後の直線に入り、先に抜け出したサクラローレルに襲い掛かって先頭奪う勢い。対するマヤノトップガンはまだまだ後方のまま。驚異的な粘り腰を見せるサクラローレルがマーベラスサンデーを差し返す。