トウカイテイオーでの制覇から「30年」無念の降板で失われた東京優駿(G1)との縁!? ダノンザキッドの安田隆行調教師がジョッキー時代に味わった苦い思い出
30日、東京競馬場で行われる日本ダービー(G1)は、ダノンザキッドの出走取り消しで17頭立て。7年ぶりのフルゲート割れが確定した。
これにより、同馬への騎乗を予定していた川田将雅騎手はヨーホーレイクに乗り替わり。ダノンザキッドを管理する安田隆行厩舎にとって、初の日本ダービー挑戦はお預けとなった。
安田隆調教師といえば、元JRAジョッキー。ホースマンの憧れでもある日本ダービー制覇も成し遂げている。
1972年に騎手免許を取得し、梶厩舎からデビューした安田隆騎手。初年度は中央競馬関西放送記者クラブ賞(関西新人賞)を受賞し、順調な滑り出しかと思われた。
しかし、翌年3月には阪神競馬の障害競走騎乗中に落馬。脳挫傷を負って意識不明の重体になり、半年の休養を余儀なくされる。
復帰後は低迷が続き、転機が訪れたのは1980年。京都競馬場の改装工事により小倉競馬場での騎乗が増えたこの歳、前年の25勝を大きく上回る44勝を挙げたのだ。
小倉開催での活躍が目立ち始め、「小倉の安田」などと称されるようになった安田隆騎手。安定した成績を残す一方、G1レースのない小倉を中心としたためビッグレースとは無縁の騎手となった。
そんな安田隆騎手を、一躍ダービージョッキーへと押し上げたのがトウカイテイオーだ。
父は皇帝といわれた7冠馬シンボリルドルフ。皇帝になぞらえ「帝王」と名付けられた同馬は5戦無敗で皐月賞(G1)を制し、日本ダービーでも単勝1.6倍の断然人気に推される。
レースは20頭立てのフルゲート。大外20番枠からの出走となったトウカイテイオーは、好スタートから外目7番手を追走した。
終始楽な手応えで外々を回したトウカイテイオーは、最後の直線でも余裕十分の走り。右鞭が入ると左にヨレはしたが、一気に他馬を突き放し2着レオダーバンに3馬身差をつけて圧勝している。
しかし、トウカイテイオーはレース後に骨折が判明。その後は、シンボリルドルフの主戦を務めた岡部幸雄騎手に乗り替わりとなり、無敗で牡馬クラシック二冠を達成した安田隆騎手は無念の降板となった。
JRA-VANホームページのインタビュー『私の競馬はちょっと新しい』で、この乗り替わりについて「ジョッキーとして甘いところもあって、もう少ししっかりしたのを乗せないといけないな、という形で岡部さんに替わったということだと思います。勝負師としては仕方ないですね」と語った安田隆調教師。その後は調教師として大成功を収めロードカナロアなど多くの馬をG1に送り出したが、日本ダービーへ管理馬を出走させたことは未だにない。
ジョッキーとして勝利した1991年の日本ダービーから早30年。ダノンザキッドでの出走を逃した安田隆調教師の挑戦は、まだまだこれからも続きそうだ。
(文=北野なるはや)
<著者プロフィール>
某競走馬育成牧場で働いた後、様々なジャンルの仕事で競馬関連会社を転々とする。その後、好きが高じて趣味でプログラミングを学習。馬券には一切のロマンを挟まないデータ派であるが、POG(ペーパーオーナーゲーム)では馬体派という奇妙な一面も持つ。