JRAマカヒキは「何故」復活できたのか。京都大賞典(G2)直前「若い馬にも負けてない」諦めなかった陣営の信念
何故、走り続けるのか――。その答えが、ここにあった。
10日、阪神競馬場で開催された京都大賞典(G2)は、9番人気のマカヒキ(牡8歳、栗東・友道康夫厩舎)が勝利。2016年のダービー馬が5年1カ月の時を経て、ついに復活の狼煙を上げた。
1週前追い切りでは、このレースで2番人気に支持されたヒートオンビート、さらには同日の毎日王冠(G2)で4番人気だったポタジェと互角の動きで併入したマカヒキだったが、最終的には9番人気……。
追い切りを見守った友道調教師から「今でも『さすが』という動きをする。若い馬にも負けていない。力の衰えはないと思う」と力強い言葉が出たが、それを心から信じることができたファンはごく少数だった。
それもそのはず。2016年に日本のダービー馬として世界に打って出たマカヒキだが、前哨戦のニエル賞(G2)を快勝したものの、凱旋門賞(G1)で14着に大敗……。それ以来、約5年間、長いトンネルに入り「今度こそ復活する」というファンの期待を何度も何度も裏切り続けてきた経緯がある。
グレード制導入後、ダービー馬が7歳以降まで現役を続行したのはマカヒキだけ。いつしか復活を期待する声は小さくなり、「いつまで走るのか」「何故、引退しないのか」といった声が日に日に大きくなると、ついには人々の関心さえ薄くなった。
全盛期を過ぎても現役を続行し、引退期を逃した名馬がひっそりとターフを去る。マカヒキもまた、そんな数多の馬たちの1頭になると誰もが思っていたはずだ。
しかし、マカヒキは終わっていなかった。14頭立て、芝2400mのレースには同厩のヒートオンビートの他にも、キセキやアリストテレスといった秋のG1を狙う強豪の姿もあったが、中団からレースを運んだマカヒキは最後の直線で力強く伸びた。キセキとアリストテレスの叩き合いに割って入ると、最後は3頭が横一線でゴールした。
「本当に、力強い走りをマカヒキがしてくれたことが何より嬉しいです」
5年1か月ぶりの勝利は、日本ダービー(G1)を勝ったころを彷彿とさせるような鮮やかなレースでは決してなかった。馬群の中で迎えた最後の直線はなかなかエンジンが掛からず、何度も前が壁になった。それでもレース前に「なんとか馬の気持ちを切らさないように」と誓った藤岡康太騎手が先に音を上げるわけにはいかなかった。
「驚きの復活劇でした。これまでも状態が良かったことは何度もありましたが、3歳で世代の頂点に立った馬が、8歳になってまだこれだけ走れることには素直に敬意を表したいです。
勝因を挙げるなら、まず例年の京都開催ではなく、上がりのかかる阪神開催になったこと。そして、スタートから藤岡康騎手がしっかりとポジションを取りに行ったことも大きいですね。最近は後方から届かずのレースが続いていました」(競馬記者)
確かに冷静に振り返れば、かつて3歳の若駒S(OP)を上がり3ハロン32.6秒で勝ち、日本ダービー(G1)も33.3秒で勝ち切ったマカヒキだったが、加齢と共に明らかに末脚の切れ味が落ちている印象がある。
もし、例年通りの京都開催なら改修工事直前の昨年は、稍重ながら上がり最速が34.3秒という高速馬場だった。一方で、この日のレースは中間でペースが上がったこともあって、上がり最速が35.6秒。マカヒキの上がり35.9秒の末脚は十分に脅威となりえた。
「直線、『なんとか間に合ってくれ』という気持ちで乗っていたので、素直に嬉しかったです。ダービー馬ですし、海外にも挑戦したことがある馬でファンも多いですし、いい結果が出て良かったです」
レース後、そう相棒の復活を喜んだ藤岡康騎手も、もちろん殊勲者の1人だ。秋のG1戦線が開幕し、ついに輝きを取り戻した2016年のダービー馬。陣営の諦めない姿勢が、誰もが終わったと思ったマカヒキに再びスポットを当てた。
(文=浅井宗次郎)
<著者プロフィール>
オペックホースが日本ダービーを勝った1980年生まれ。大手スポーツ新聞社勤務を経て、フリーライターとして独立。コパノのDr.コパ、ニシノ・セイウンの西山茂行氏、DMMバヌーシーの野本巧事業統括、パチンコライターの木村魚拓、シンガーソングライターの桃井はるこ、Mリーガーの多井隆晴、萩原聖人、二階堂亜樹、佐々木寿人など競馬・麻雀を中心に著名人のインタビュー多数。おもな編集著書「全速力 多井隆晴(サイゾー出版)」(敬称略)