武幸四郎とともに引退、田中博康騎手の「大いなる野望」!? 伝説の「エリ女大逃げ」騎手を早期引退に導いた理由とは
今月末をもって武幸四郎騎手がジョッキー生活に幕を下ろす。今後は”調教師”として競馬に携わっていくという。
武豊騎手の弟として、97年3月1日にデビューした幸四郎騎手は、その翌日にオースミタイクーンでマイラーズC(G2)を制覇。デビュー最短重賞制覇の記録を大幅に上回るだけでなく、その年の新人王に輝くなど華々しいデビューを飾った。だが、177cmという長身ゆえ減量に苦しみ、近年は成績の低迷が叫ばれていた。
今週末には今年初開催のG1フェブラリーSが開催されるが、そのレースで有力馬に騎乗するはずだった騎手が2名も欠場することが決まっている。幸四郎騎手に引退の花道を飾ってもらうべく、ファンなどからは『騎乗してほしい』という声も上がっている。
競馬界のカリスマ的存在である武豊騎手の弟、さらにこれまでの輝かしい実績もあり、知名度の高さはいうまでもない。幸四郎騎手の「調教師」転身は競馬雑誌のみならず、一般紙でも盛んに取り上げられていた。
そんな幸四郎騎手の陰で、もうひとり騎手から調教師へと転身する騎手がいる。田中博康騎手だ。
田中騎手のデビューは06年。その年に4勝を飾り、翌年は44勝をあげる。09年は25勝をあげ、この年には11番人気だったクィーンスプマンテでエリザベス女王杯(G1)を制すという大波乱も演出した。これからの飛躍が期待されていた田中騎手だが、彼に転機が訪れたのは11年4月から年末にかけて行われたフランスへ遠征だったという。この遠征の最中、関心が騎乗から”馬づくり”へ移り始めたそうだ。
合格発表後に行われた「netkeiba.com」のインタビュー記事によれば、明確に調教師試験の受験を意識したのは3年前。だが、受験したのは昨年だった。これはそれまで「自分の中で調教師になった時のビジョンがわからなかった」ためだという。