JRA横山典弘「ポツン騎乗」返上の王道レース。カンパニーで見せた会心の勝利【JRA観戦記】2009年マイルCS
週末は、いよいよ秋のマイル王決定戦マイルCS(G1)が行われる。
このレースがラストランとなることが判明したグランアレグリア、NHKマイルC(G1)と毎日王冠(G2)を勝利したシュネルマイスター、過去の優勝馬インディチャンプなど好メンバーが顔を揃えたが、どんなドラマが見られるだろうか。
今年で38回目を迎えるが、過去にオグリキャップやデュランダル、タイキシャトル、ダイワメジャー、モーリスといったJRAを代表する名マイラーが勝利してきたレース。そんな中で、筆者にとって特に思い出に残るのが2009年の優勝馬カンパニーである。
カンパニーは3歳時から頭角を現し、古馬になって重賞で好走するも、あと一歩勝ちきれないレースが続いていた。4歳11月の京阪杯(G3)で重賞初制覇を達成するも、G1レースでは安田記念、宝塚記念、天皇賞・秋、マイルCSで最高で3着が精一杯という内容。G1では一歩足りない、誰もがそう感じていた馬だった。
しかし7歳になったカンパニーに転機が訪れる。関東の名手横山典弘騎手への乗り替わりだ。
関東のトップジョッキーとして誰もが認める存在の横山典騎手だったが、当時ある騎乗がファンの間で物議を醸していた。それが今や、横山典騎手の代名詞となった「ポツン最後方」だ。
道中後方の馬から、さらに数馬身離れた後方を追走するこの騎乗が大きく話題となったのは、2003年有馬記念のツルマルボーイと記憶している。
横山典騎手はスタート後に後方に控えると、そのまま11番手から5馬身ほど離れた最後方12番手を追走(この年の有馬記念は12頭立)。実況アナウンサーが「ポツ~ンと最後方ツルマルボーイ」と表現したことから、その後「ポツン」というフレーズが定着したと思われる。レースでは絶望的な位置取りから豪快な追い込みを見せ4着と、ファンを驚かせた。
その「ポツン最後方」は翌年も続く。なんと2004年にハーツクライで挑んだ有馬記念においてもポツンと最後方を実行したのだ。ちなみにこの時の実況アナウンサーは「最後方、最後方ポツンと一頭ハーツクライ」と説明している。
最終的な着順は9着と振るわず、2年連続で「ポツン最後方」作戦は結果に結びつかなかった。この騎乗が正しかったかどうかは賛否が分かれるところだが、翌年の有馬記念でハーツクライは、乗り替わったC.ルメール騎手が3番手先行という奇策に出て、無敗の三冠馬ディープインパクトを負かして勝利している。
カンパニーは強烈な末脚が持ち味の馬であり、追い込み馬として活躍していた。しかし、初めて同馬に騎乗した横山典騎手は、なんと「ポツン最後方」ではなく、これまでとは打って変わって2番手の先行策を取り、初騎乗で重賞勝利をやってのけた。
後方一気の競馬ではなく先行抜け出しの戦術は、間違いなくカンパニーの脚質を変え、それが8歳秋の毎日王冠(G2)での女王ウオッカ完封に繋がったといえる。
この年のマイルCSはフランスからサプレザ、イギリスからエヴァズリクエストと2頭の外国馬が来日。日本勢もキャプテントゥーレ、スマイルジャック、ザレマ、アブソリュート、マイネルファルケといった馬が出走。かなりの混戦模様だったが、1番人気はカンパニーだった。
レースは人気薄マイネルファルケが逃げ、横山典騎手とカンパニーは内の7番手あたりを追走する。その後淡々と流れる中、横山典騎手はカンパニーの走りに手応えを感じていたのか、直線を向くまでまったく動かなかった。
しかし4コーナーを回ってスイッチが入ると、空いた内を突いてグングン伸び、あっさり抜け出し完勝。まさにお手本のような乗り方で、これ以上ない勝利を見せつけたのである。「ポツンと最後方」の汚名を返上するかのような完璧な騎乗であり、これまでの雑音を吹き飛ばす人馬一体となったレースであった。
この年の横山典騎手は、日本ダービー(G1)をロジユニヴァースで制するなどG1レースを3勝。2004年5月の勝利を最後に5年間JRAのG1を勝てなかったが、改めてその存在感を知らしめた。
そのキッカケを作ったのは、やはりカンパニーとの出会いだったのではなかろうか。追い込み馬を先行馬に脚質転換させた中山記念(G2)、そしてその集大成となるマイルCSの勝利。カンパニーが8歳にして一流馬の仲間入りを果たすことができたのは、紛れもなく横山騎手の手腕そのものだろう。
その後、横山典騎手の「ポツン最後方」は鳴りを潜めたかに思えたが、今年の日本ダービーでレッドジェネシスに騎乗し豪快な「ポツン最後方」を実行。16番目の馬から4~5馬身離れた最後方を追走し、アナウンサーも「最後方ポツンとレッドジェネシス」と実況。テレビ越しにファンのため息が聞こえるような位置取りだった。直線は荒れた内を突いて伸びかけたがそこまで、結局は11着に力尽きている。
近年の横山典騎手は息子の横山武史騎手の勢いに押され、かつてのような有力馬の騎乗がなくなってしまった。
今年もいまだ重賞は未勝利であり、このまま未勝利ならば1995年から続いていた重賞勝利記録が途絶えてしまう。53歳とは言え、同年代の武豊騎手もまだまだ結果を出している。横山典騎手には、あのカンパニーのような馬との出会いが求められる。そしてもう一度、あの王道のようなレースを見せてほしい。
(文=仙谷コウタ)
<著者プロフィール>
初競馬は父親に連れていかれた大井競馬。学生時代から東京競馬場に通い、最初に的中させた重賞はセンゴクシルバーが勝ったダイヤモンドS(G3)。卒業後は出版社のアルバイトを経て競馬雑誌の編集、編集長も歴任。その後テレビやラジオの競馬番組制作にも携わり、多くの人脈を構築する。今はフリーで活動する傍ら、雑誌時代の分析力と人脈を活かし独自の視点でレースの分析を行っている。座右の銘は「万馬券以外は元返し」。