JRAサイレンススズカ「悲運」の影で栄光に輝いたオフサイドトラップ、脚部不安との長い闘いの末に勝ち取った栄光は七夕賞(G3)から始まった
今週末は夏の福島開催の名物レースである七夕賞(G3)が開催される。
オールドファンならずとも七夕賞と言われてまず思い浮かぶのは1993年の優勝馬ツインターボだろう。1000m57.4秒という超ハイペースで大逃げを打ち、2着に4馬身差をつける圧勝を飾ったレースは今でも語り草である。
そんな名レースとはほど遠い、ファンの印象に残るレースではないが、このレースからつながるドラマチックな1頭を紹介したい。
その馬は98年の勝ち馬オフサイドトラップだ。本馬の父は初年度産駒からクラシックホースを2頭輩出した新進気鋭のトニービン。本馬は2年目の産駒にあたり、デビュー前から評判の1頭だった。
新馬戦、未勝利戦と2戦連続で2着に終わるも、3戦目の未勝利で勝ち上がったオフサイドトラップ。続くセントポーリア賞(1勝クラス)では後のオークス馬チョウカイキャロルを下し、皐月賞トライアル・若葉S(現L)も勝利して皐月賞(G1)へと駒を進めた。
力及ばず皐月賞、日本ダービーなどのG1は見せ場なく敗れているが、この年の勝ち馬は後の3冠馬ナリタブライアンということもあり、生まれた世代が悪かった。
この後、ラジオたんぱ賞(現ラジオNIKKEI賞・G3)で4着するも、ここで屈腱炎を発症して休養に入る。以降も重賞での好走は、たびたびあったのだが屈腱炎のために実に4度の長期休養を余儀なくされている。
そんな中で迎えた8歳(現7歳)シーズン。オープン2戦と新潟大賞典(G3)を3戦連続2着し、エプソムC(G3)で3着。勝ちきれない競馬が続くまま迎えたのが98年の七夕賞だった。
これまで安田富男騎手(引退)が主戦を務めていたが、このレースから蛯名正義騎手(現調教師)に乗り替わる。ここまでのキャリアが買われたのか57kgを背負い2番人気に推される。
レースは押し出される格好で軽ハンデのタイキフラッシュがハナを切り、1000m通過59.3秒の平均ラップで進む。直線に入って逃げ込みを図るこの馬を中団から上がり最速の脚で追い込んできたのがオフサイドトラップで、ゴール前捉えてクビ差交わし勝利した。実に3年5カ月ぶりの勝利であり、8歳にして重賞初制覇を飾った。
この勢いに乗って翌月の新潟記念(G3)にも参戦。58kgのトップハンデを背負いながら1番人気に応え、ここでも上がり最速の切れ味を見せて連勝してみせた。脚元にも不安がない状態で秋を迎えることになる。
秋は前哨戦を使わず天皇賞・秋(G1)へ直行。ここに待ち受けていたのは前走の毎日王冠(G2)でエルコンドルパサー、グラスワンダーという2頭の怪物4歳(現3歳)馬を一蹴してみせた「音速の貴公子」サイレンススズカだった。単勝1.2倍の圧倒的人気に推された大本命馬の勝利を誰もが疑わなかった。
レースも1枠を利して好スタートを切ったサイレンススズカが大逃げを打つ。当時の馬場では超ハイペースといえる1000m通過57.4秒で後続を突き放す。が、4コーナー手前で突然のペースダウン。後続に飲まれていったサイレンススズカは故障を発生したのだった。
サイレンススズカのいない直線で道中3番手から2番手に押し上げ、先頭に立ったのがオフサイドトラップだ。そのまま力強く坂を駆け上がり、後ろから迫ってきた「シルバーコレクター」ステイゴールドの追撃を1馬身1/4差凌いだところがゴールだった。
フジテレビの中継ではゴール前の接戦を一瞬映しただけで、4コーナー端で馬運車の前に佇むサイレンススズカと武豊騎手をクローズアップしていたため、この天皇賞の勝ち馬がわからなかった人も少なくなかった。筆者もその一人であり、レース後しばらく経って結果を確認してみたら馬券を持っていた次第だ。
オフサイドトラップの天皇賞勝利は8歳馬として史上初のことであり、自身も3連勝でG1ホースに上り詰めた瞬間であった。このあと有馬記念(G1)にも出走しているが、天皇賞で燃え尽きたのか10着に敗れ、ここで脚部不安と長く闘ってきた現役生活を終えている。
七夕賞そのものは後のドラマへつながるトリガーでしかなかったが、夏競馬とは時にしてこういうドラマの起点になることもある。ローカル開催を退屈に感じる人もいるだろうが、秋に向けたこんなドラマを夢想してみるのもまた一興ではなかろうか。
(文=ゴースト柴田)
<著者プロフィール>
競馬歴30年超のアラフィフおやじ。自分の中では90年代で時間が止まっている
かのような名馬・怪物大好きな競馬懐古主義人間。ミスターシービーの菊花賞、
マティリアルのスプリングS、ヒシアマソンのクリスタルCなど絶対届かない位置から
の追い込みを見て未だに感激できるめでたい頭の持ち主。