武豊の落馬も霞むミラクル!? 「ヤマニンゼファー伝説」も呆然……競馬の常識を覆した規格外の“モンスター”とは

 伏兵ギャロップダイナにまさかの敗戦を喫したことで、皇帝シンボリルドルフはレース後に悔し涙を流したという伝説が残っている1985年の天皇賞・秋(G1)。

 そんな歴史の1ページの陰で「距離の壁」に泣き3着同着に敗れていたのが、当時の最強マイラー・ニホンピロウイナーだった。

 そんな経緯もあり、それから8年後の1993年。産駒のヤマニンゼファーがハナ差の激戦を制して天皇賞・秋を勝利した際は、親子二代で「距離の壁」に打ち勝ったと称賛を集め、本馬はその年の最優秀5歳以上牡馬(当時)にも選出されている。

 安田記念(G1)連覇など、当時のヤマニンゼファーはかつての父同様、現役最強マイラーといえる存在だった。だが、1800mでは4着・6着と明らかな距離の壁があった。だからこそ本馬が2000mのG1を勝利したことに、多くの競馬ファンが感動したのだ。

 しかし、それからさらに9年後の2002年。そんな「血統の常識」をいともあっさりと吹き飛ばしてしまう馬が現れるのだから競馬は面白い。

 2005年の中京記念(G3)の勝ち馬にも名を連ねるニホンピロウイナー産駒のメガスターダムのデビュー戦は、スピードスターの子供らしく芝の1000mだった。妥当な選択であり、直前の追い切りの動きがよかったことで単勝1.5倍の1番人気に推されたが、追走に苦労して6着……。父譲りのスピードは、あまり感じられなかった。

メガスターダムは完全に「規格外」の存在

 

 その後、未勝利脱出までに6戦を要したメガスターダム。だが、年末に出走したラジオたんぱ杯2歳S(G3)を勝ったことで、その運命が大きく変わった。

 ニホンピロウイナー産駒にとっては、ヤマニンゼファーの天皇賞・秋勝利から通算3頭目の2000m重賞勝利。それも数々の名馬が名を連ねるクラシックへの登竜門を制したのだから、メガスターダムが王道に挑戦するのは当然の選択となった。

 現代でさえ史上最強のマイラー争いに名を連ねるニホンピロウイナーの武器は、何と言っても卓越したスピードだ。

 ヤマニンゼファーの他にも、統一スプリンターのフラワーパーク、CBC賞とマイラーズCという1600m以下のG2を2つ勝ったニホンピロプリンス、CBC賞と阪急杯(G3)を勝ったトーワウィナーなど、成功例となった産駒も軒並み父譲りのスピードにモノを言わせている。

 だからこそ距離の壁に打ち勝ったヤマニンゼファーは、ニホンピロウイナーの最高傑作と言われ称賛を集めたのだが、このメガスターダムは2000mの皐月賞(G1)で5着、2400mの日本ダービー(G1)でも4着と完全に「規格外」の存在だった。

 そんな“異端児”が全国の血統マニアの腰を抜かせたのが、秋の菊花賞(G1)だった。

 舞台となる3000mという距離は、ニホンピロウイナー産駒にとっては“別世界”……本来ならまったく関わりのない領域のはずだ。多くの血統信者も己の信念・信仰にかけて、ここでニホンピロウイナー産駒を高評価することはできなかったに違いない。

 しかし、メガスターダムはそんな常識を嘲笑うかのようにクラシック最高着順となる3着に好走。スタート直後に1番人気ノーリーズンの武豊騎手が落馬する大波乱のレースだったが、勝ったのはヒシミラクル。その名にちなんでミラクルホースと言われるが、この時に限っては、こちらの方がある意味ミラクルと言えたかもしれない。

 その後も2400mの1600万下(現3勝クラス)を勝ち、2000mの中京記念で2つ目の重賞をゲットするなど、型にはまらない活躍をしたメガスターダム。その走りには天皇賞・秋で距離の壁に泣いたニホンピロウイナーも、天皇賞・秋で距離の壁に打ち勝ったヤマニンゼファーも唖然としたに違いない。

(文=銀シャリ松岡)

<著者プロフィール>
 天下一品と唐揚げ好きのこってりアラフォー世代。ジェニュインの皐月賞を見てから競馬にのめり込むという、ごく少数からの共感しか得られない地味な経歴を持つ。福山雅治と誕生日が同じというネタで、合コンで滑ったこと多数。良い物は良い、ダメなものはダメと切り込むGJに共感。好きな騎手は当然、松岡正海。

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