岡部幸雄「ミスターシービーしちゃった」の名言も…シンボリルドルフの呪縛から逃れた先に見つけたマティリアルの栄光と影

 11日に秋の中山開催の開幕を告げる名物重賞、京成杯AH(G3)が開催される。今年で67回目を迎える伝統あるレースだけに、歴代の勝ち馬には名馬と評される馬の名前がずらりと並ぶ。中でもひときわドラマティックな生涯を送った勝ち馬がいる。1989年に勝利したマティリアルである。

 84年にシンボリ牧場で生まれたマティリアル。この馬が生まれた十数日後に後の7冠馬シンボリルドルフが皐月賞(G1)を勝利し、無敗の3冠ロードを歩み始めるのだが、マティリアルの血統構成は「皇帝」ルドルフと同じで、父はパーソロン、母の父はスピードシンボリというものであった。

 牧場の期待に違わぬ成長を見せたマティリアルだったが、一時、さくらコマースとの売買交渉があったという。しかし、結局折り合わずシンボリルドルフと同じく和田共弘氏が自ら所有して走らせることとなった。従来ならシンボリの冠号を付けた馬名になるところであったが、いずれ海外で走らせることをデビュー前から想定しており、異例ではあるが冠号なしの「素材」を意味するマティリアルと名付けられた。

 デビュー戦は当初ルドルフと同じ夏の新潟を予定していたが、脚部不安を発症して秋にずれ込む。それでも管理していた田中和夫調教師は、「まだ実が入っていない」としてデビューを遅らせたかったらしいが、和田オーナーの強い意向で10月の東京開催でデビュー。先行策から直線で一度交わされるも、再度差し返して勝利している。

 このあと府中3歳S(現東京スポーツ杯2歳S・G2)へ出走。ここでは新馬戦の反動もあって調子落ちしており3着に敗れている。ここから一旦間隔を空け、翌年2月に寒梅賞(400万下、現在の1勝クラス)に出走。1番人気に応えて2勝目を挙げた。

「ミスターシービーしちゃった」の名言も…

 次なる挑戦は皐月賞(G1)の出走権を懸けたトライアル・スプリングS(G2)だった。この時点ではまだ混戦模様と見られたクラシック戦線だったが、マティリアルはここでも堂々の1番人気に推される。レースはこれまでの先行策と打って変わって最後方からの競馬。4コーナーを回っても11番手と絶望的な位置で誰もが届かないと思った直線で、豪快な追い込みを見せ2着馬をゴール前捉えてアタマだけ交わし、コースレコードで勝利した。

 鞍上の岡部幸雄騎手も直線で間に合わないと思ったらしいが、ならばどこまで差を詰められるのかと試すつもりで乗っていたという。レース後のインタビューでは「ミスターシービーしちゃった」と照れ笑いを浮かべてコメントしたのは今でも語り草になっている。

 スプリングSの強烈な勝ちっぷりでこの年のクラシックで主役に躍り出たマティリアル。皐月賞も1番人気に推された。レースではやはり後方待機策を採り、直線でも後ろから来た馬3頭の競り合いとなったが、勝ったのは「悲劇の名馬」サクラスターオー。そこから遅れること2馬身半+アタマ差の3着に敗れた。

 そして迎えた日本ダービー(G1)。皐月賞馬が脚部不安で回避したことや追い込み馬に東京コースは有利と見られたことで単枠指定され、1番人気に推された。だが、皐月賞後にシンボリ牧場で独自調整が行われた結果大きく調子を落とし、馬体重はマイナス16kgと馬体が細化。結局レースでも見せ場なく18着と大敗した。夏は休養に充てられたが、やはりシンボリ牧場での調整で調子を戻すことなく秋初戦のセントライト記念(G2)は7着、菊花賞(G1)は13着に終わった。

 ここから長い低迷期に入る。5歳(現4歳)シーズンは適距離と見られた中距離重賞を主戦場にするが、エプソムC(G3)の2着があっただけで4歳(現3歳)春の輝きはもはや失われていた。迎えた6歳(現5歳)シーズンも低迷したが、マイルに主戦場を替えたことで光明が見え始める。夏シーズンも休養せず、関屋記念(G3)で1年ぶりの2着に入り、良い状態で迎えたのが京王杯AH(現京成杯AH・G3)だった。

 鞍上もセントライト記念以来となる岡部騎手が戻り、万全の体制で迎える。レースは関屋記念で見せた後方待機策ではなく先行策を採ってとにかく勝ちにこだわった競馬を進め、直線で抜け出してスプリングS以来2年半ぶりの勝利を飾った。

 だが、好事魔多し。競走後スタンド前で突然歩様を乱して止まってしまう。すぐさま岡部騎手も下馬して診療所に運ばれるが、右前第一指節種子骨複骨折の診断を受ける。通常なら予後不良のケースだったがオーナーの和田氏がそれを止め、骨折箇所を固定する手術が行われて成功。だが、容態が急変し結局レースの4日後に死亡してしまった。

 田中調教師は「もう少し早くこの馬の素質を見抜いてやれば良かった」として、「マイル王者として名前を残して欲しかった」と語り、岡部騎手も「皐月賞とダービーを使わずに休んでいたらどれだけ強い馬になっていたかわからない」と自著に記し、「中距離G1のひとつやふたつは獲れていたと思う。それだけに惜しい馬だった」と述懐している。

 スプリングSでの目が覚めるような鮮烈な勝利とそこから続く暗黒の低迷期。そこからマイルにようやく光明を見いだし、京王杯AHで栄光を再び勝ち取ったのが生涯最後のレースになってしまったという運命のいたずら。

 オールドファンであれば、毎年秋シーズンになってこのレースを迎えるとふと思い出す名馬の1頭である。

ゴースト柴田

競馬歴30年超のアラフィフおやじ。自分の中では90年代で時間が止まっている
かのような名馬・怪物大好きな競馬懐古主義人間。ミスターシービーの菊花賞、マティリアルのスプリングS、ヒシアマソンのクリスタルCなど絶対届かない位置からの追い込みを見て未だに感激できるめでたい頭の持ち主。

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