秋華賞(G1)武豊アドマイヤグルーヴに並ぶことすら許さなかった女王の貫禄。「鉄人」幸英明の礎となった運命の出会い
「あの馬がいなければ、今も現役を続けていたか分かりません」
競馬界で「鉄人」と称される幸英明騎手は『デイリースポーツ』の取材に、そう当時を振り返っている。
2003年、メジロラモーヌが1986年に達成して以来、史上2頭目の牝馬三冠の称号を獲得すべく、幸騎手とともに最後の一冠・秋華賞(G1)に挑んだ馬がいた。スティルインラブだ。
それまでビッグタイトルに縁が無かった幸騎手。デビュー10年目の節目の年にスティルインラブが桜花賞を勝ったことで、初めてG1の栄冠を手に。そのまま一気に「三冠ジョッキー」の名誉も得ることになった。
幸騎手といえば、今年の3月に史上最速でJRA通算22000回騎乗達成の大記録を打ち立てた「鉄人」だが、スティルインラブとの出会いが無ければ、この記録も無かったかもしれない。ここから騎乗数が年々伸びたことからも、スティルインラブによって現在の幸騎手の礎が築かれたと言っても過言ではないだろう。
スティルインラブは同世代にアドマイヤグルーヴやシーイズトウショウ、ヤマカツリリーなど実力馬がひしめき合っていた世代。この年の牝馬三冠レースは歴史的名牝エアグルーヴの仔であり、武豊騎手が主戦を務めたこともあってアドマイヤグルーヴがすべて1番人気。スティルインラブは「2番手」の位置付けだった。
だが、そんな評価をよそに桜花賞(G1)・オークス(G1)を完勝とも言える内容で二冠を制している。
精神面の変化と、それを跳ね返して掴んだ栄冠
しかし、ひと夏を越して前哨戦のローズS(G2)に臨んだスティルインラブは、明らかに馬が変わっていた。
「乗りやすくて素直な馬だったのですが…」
休み明けとはいえローズSでは明らかに折り合いを欠いており、まさかの5着。幸騎手にとって従順で乗りやすいスティルインラブではなくなっていた。また、最大のライバル・アドマイヤグルーヴに初めて先着を許したレースでもあった。
迎えた秋華賞当日。当時スティルインラブの陣営は「若干耳を絞って怒っているような面を出していた」と語っており、春の充実から一変、不安な状態での三冠挑戦となった。
しかしレースが始まると、その心配も杞憂に終わった。
中団やや後ろを追走し、3コーナーを過ぎたあたりから外を回って直線に入る。後ろから迫ってくるアドマイヤグルーヴの足音を感じた幸騎手は一瞬「負けた」と思ったそうだが、スティルインラブはライバルが並ぶことすら許さなかった。逃げ粘るマイネサマンサを抜き去った瞬間、「牝馬三冠」の称号を手にしたのである。
続くエリザベス女王杯(G1)でアドマイヤグルーヴの2着に敗れ、以降一度も勝利を手にすることなく引退し繁殖生活に入ったスティルインラブ。三冠牝馬として期待された「第2の人生」だったが、キングカメハメハとの第1仔を産んだ同年に急逝した。
秋華賞創設後、初の三冠牝馬誕生から19年。今年はスターズオンアース(牝3、美浦・高柳瑞樹厩舎)が史上7頭目の牝馬三冠をかけて最後の一冠に挑む。スティルインラブという偉大な三冠牝馬がいたことを、いつまでも忘れずにいたいものである。