天皇賞・秋でビワハヤヒデ、ウイニングチケットを撃破!武豊の同期が輝いた毎日王冠
今年も好メンバーが揃った9日の毎日王冠(G2)。G1級の馬が出走するのは例年のことだが、G1馬が4頭も登録されているのは、久しぶりのことではないか。
芝1800mという絶妙な距離に設定されたレースだけに、近年ではマイルCS(G1)の前哨戦としても使われることが増えており、このレースの重要性が再確認されているところではあるが、やはり本筋は天皇賞・秋(G1)へのステップレース。それは過去から変わっていない。
そして、かの人気ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』(Cygames)でおなじみのキャラクターが数多く登場している1992年デビュー組がしのぎを削った94年の毎日王冠を振り返ってみたい。
92年デビュー組とはいわゆるBNW(ビワハヤヒデ・ナリタタイシン・ウイニングチケット)の3強が活躍した世代。クラシックでもこの3強が主役を張り、牝馬戦線でも個性派の多かった世代だった。では、この世代が古馬になった94年の毎日王冠を勝った馬は? と問われると、馬名がすぐに出てこないファンも多いかもしれない。
それは、同年の天皇賞・秋を制したネーハイシーザーだ。正直なところ何もかもが地味な馬だった。血統で見ても父・サクラトウコウは二流の種牡馬で代表産駒がこのネーハイシーザーというレベル。ネーハイシーザー自身は天皇賞・秋を含めキャリアで重賞5勝を挙げているにもかかわらず、当時ですら一流馬の陰に隠れていたように思う。
レジェンド・武豊騎手と同期騎手が輝いた毎日王冠
この馬の主戦を務めたのが塩村克己元騎手。当然、名前を聞いてもピンと来ないだろうが、実は現在も一線で活躍するレジェンド・武豊騎手と同期である。これほどピンと来ないのは15年の騎手生活の中で乗った活躍馬がネーハイシーザーで、唯一のG1勝利もネーハイシーザーによるもの。現役時に挙げた7つの重賞勝ちのうち、5つがネーハイシーザーによるものだったので、推して知るべしというところだ。
そのネーハイシーザーだが、新馬戦こそ勝ち上がったものの、デビューが遅めだったことや順調に勝ち星を重ねられなかったこともあり、春のクラシックには間に合わず。夏の中日スポーツ賞4歳S(現ファルコンS・G3)を勝ち、神戸新聞杯(G2)でビワハヤヒデの2着に入り、8番人気で菊花賞(G1)に出走したものの、心房細動を発症してしんがり負け。
古馬になって産経大阪杯(当時G2)と京阪杯(当時2000m・G3)を連勝し、宝塚記念(G1)でビワハヤヒデの5着に入ったあたりでようやく頭角を現してきた。
そして迎えた94年秋シーズン。毎日王冠を始動戦に選んだネーハイシーザーだったが、宝塚記念でも2番人気に推される程度に、実力馬として認識されたこともあり、1番人気に推される。
ちなみにこの年の出走メンバーはなかなか豪華だった。
・フジヤマケンザン(香港国際C・G2勝利)
・スターバレリーナ(ローズS・G2勝利、エリザベス女王杯1番人気)
・サクラバクシンオー(スプリンターズS連覇、希代のスプリント王)
・マチカネタンホイザ(当時の高松宮杯・G2勝利)
・ナイスネイチャ(有馬記念・G1 3年連続3着)
・セキテイリュウオー(天皇賞・秋連続2着)
・ホクトベガ(エリザベス女王杯・G1勝利ほかダートの女王)
・ステージチャンプ(菊花賞・G1と天皇賞・春・G1を2着)
など、G1馬は2頭だったが、ウマ娘キャラクターもいれば、名脇役として名前の残る馬もおり、これらの馬を抑えてネーハイシーザーは1番人気となったわけだ。
レースはサクラバクシンオーが逃げを打つ展開で、1000m57.5秒とハイペースで流れる。3番手につけたネーハイシーザーは、直線で逃げ込みを図るサクラバクシンオーを交わし、後続の追撃を断ち切って勝利。走破タイムは92年にダイタクヘリオスが毎日王冠でマークした1分45秒6を1秒上回る1分44秒6と、当時では破格のレコードを記録した。
この勢いで次走は天皇賞・秋へ向かった。BNWのうちビワハヤヒデとウイニングチケットが出走し、上位人気を分け合うレースだったが、蓋を開けてみれば、終始番手を進んだネーハイシーザーが連勝を飾り、ビワハヤヒデは5着、ウイニングチケットは8着に沈んだ。
このレースより後は、ネーハイシーザーは勝ち星を挙げることができず、96年の京阪杯3着を最後に引退。7年間種牡馬として供用されたが、これといった活躍馬を出すことができないまま2018年に死亡。主戦を務めた塩村騎手もまた、翌年重賞を1勝するが、それを最後に重賞を勝つことなく02年に引退している。
人馬ともに同期のスターの陰に隠れた存在だったが、94年秋シーズンはひときわ大きく輝いた栄光のシーズンだったと言える。