今こそ思い出す、1998年の史上最強「G1完全制覇」世代。18年の時を経て、新・最強ダービー世代に託された「夢」の継承
「どんなレースをするかはもちろん、騎乗馬の癖や個性なども、これ以上話したくありません」
18年前の1998年、日本ダービー(G1)。デビュー当時からいつも明るく、常にウィットに富んだ発言で、競馬ファンだけでなくマスコミの人間まで楽しませる稀代のエンターテイナー武豊。
そんな天才騎手にここまで言わせたのは、それが未だ一度も勝っていない日本ダービーだからか、それとも最終追い切りを終えたスペシャルウィークから、未だかつてない「本気」の手応えを感じたからか。
いずれにせよ、その年のクラシックは皐月賞(G1)を勝ったセイウンスカイ、世界的良血馬のキングヘイロー、そして皐月賞で1番人気に推されながらも涙を飲んだスペシャルウィークが「三強」を形成していた。
曇天、稍重の馬場の中で行われた1998年の日本ダービー。皐月賞の上位3頭となった三強が注目される中、スペシャルウィークは皐月賞に続いて1番人気の評価を受けた。
例年を上回る大歓声の中でスタートを切ると、外から皐月賞を逃げ切ったセイウンスカイがハナを主張するかと思いきや、なんと内から好スタートを切ったキングヘイローがそのまま主導権を主張。鞍上には、初の日本ダービーを迎えた福永祐一の姿があった。
意外な展開に地鳴りのような歓声とどよめきに包まれたまま、各馬が最初のコーナーを回る。
先頭はキングヘイロー、それを外から見るような形で横山典弘とセイウンスカイ。スペシャルウィークは、これまで通り中団の後ろに控えていた。ゆったりとしたペースの中で各馬が一団になって進む様は、まるで各馬が「最高の日本ダービーを描く」という一つの意思を持った”巨大な黒い塊”であるようだった。
4コーナーを回り、勝負所に差し掛かると早くも脱落し始める馬が出てきた一方で、外に持ち出されたスペシャルウィークと武豊が進出を開始。最後の直線に入ると、まずセイウンスカイが脚の止まったキングヘイローを楽に交わして先頭に立つ。
しかし、皐月賞馬の二冠の夢は、そこからわずか数秒で砕け散った。
他馬とは完全に次元の違う、圧倒的な手応え。レースはまだ残り400mを切ったばかりだが、誰もがスペシャルウィークの勝利を予感せざるを得ないほどの圧巻の脚色だった。
「一番強い馬でも、必ずしも勝つわけではないんだ」
2年前の日本ダービー。1番人気のダンスインザダークでクビ差の接戦を落とした際、武豊の口から思わずこぼれた言葉は、その無念を集約していた。
では、ダービーを勝つためには「何」が必要なのか。
残り200mを切って、他馬を突き放す一方となったスペシャルウィークの走りが、あれから2年間で武豊が導き出した「答え」を雄弁に物語っていた。
ダービー馬は人が作るもの。
デビューから日本ダービーに至るまでの6戦。そのすべてで手綱を取った武豊は、スペシャルウィークを府中の2400mで勝つために育て上げた。その集大成がまったく危なげのなかった5馬身差のダービー初勝利であり、後のジャパンC(G1)初制覇である。
日本ダービーを5馬身差という大差で勝利。
だが、スペシャルウィークの天下は訪れない。何故なら、この年の日本ダービーは、本来ダービーが持つ「世代の頂点を決める戦い」という役割を失いつつあったからだ。