89年日本ダービー馬・ウィナーズサークル30歳で死す。オグリキャップにメジロマックイーン「芦毛最強時代」を彩った1頭
1989年の日本ダービーを制したウィナーズサークルが、老衰のため繋養先の東大大学院農学生命科学研究科付属牧場(茨城県笠間市)で死んだ。30歳の大往生だった。
ウィナーズサークルは88年、美浦・松山康久厩舎からデビュー。芝では3戦して勝利をつかめなかったが、ダートに場を移して初勝利。ダートで4戦2勝2着2回の成績を収めた後、いきなりクラシック第一戦皐月賞に挑戦。7番人気ながら2着に食い込み、本番のダービーに挑む。
例年以上の混戦模様となった日本ダービーでは中段でレースを進め、直線でリアルバースデイとの叩きあいを半馬身制しての勝利。茨城県産馬として初の日本ダービー制覇を達成した。その後は京都新聞杯4着、菊花賞10着に敗れ、骨折が判明。引退となった。
同馬は、「芦毛馬」として初の日本ダービー馬だった。その後も芦毛のダービー馬は誕生していない。
時はバブル景気、翌1990年の中央競馬はまさに「ブーム」の絶頂だったと言っていいだろう。武豊などスター騎手の台頭、ダービー当日の東京競馬場入場人員レコードとなる196,517名の中で沸き起こった「ナカノコール」……。
ちょうどこの時代はオグリキャップが引退レースの有馬記念で奇跡の復活を遂げ、後に天皇賞連覇を果たすメジロマックイーンの菊花賞制覇など、タマモクロスなどから続く「芦毛最強時代」。周囲があまりにも派手すぎて地味な存在だが、ウィナーズサークルもまた、芦毛時代、競馬全盛を彩った名馬の1頭と言えるのかもしれない。