交通事故で乗り合わせたすべての馬が死亡……度重なる危機を奇跡的に乗り越え、最後は年度代表馬に。人知を超えた「奇跡の馬」サンデーサイレンス【後編】
「彼が三冠馬になるところを、ちゃんと書き留めておいてくれよ」
これはサンデーサイレンスの陣営が、クラシック最終戦となるベルモントS(G1)を前に、イージーゴアばかりを支持する全米のマスコミに皮肉を込めて残したコメントだ。そんな効果もあってか、ベルモントSでは三冠の期待が懸かるサンデーサイレンスが1番人気に支持され、イージーゴアは生涯初の2番人気に甘んじた。
しかし、レースは完全なワンサイドだった。セクレタリアトの伝説の31馬身差には遠く及ばないが、それでもイージーゴアが2着サンデーサイレンスに8馬身もの差をつけて圧勝。最後の一冠で意地を見せた。
3歳クラシックの1、2着を分け合った2頭に全米が注目する中、両雄が次に顔を合わせたのはアメリカの最高峰ブリーダーズCクラシック(G1)だった。
実質的な最終決戦は歴戦の古馬を巻き込んでのものとなったが、1、2番人気はやはり両馬が独占。しかし、ここに至るまでにサンデーサイレンスがG1を1勝上げたのに対し、イージーゴアはG1を怒涛の4連勝。
強豪の古馬を負かした実績も買われ、イージーゴアが単勝1.5倍と圧倒的な人気に推されていた。サンデーサイレンスは単勝3倍の2番人気だったが、3番人気が単勝17倍と完全に一騎打ちムードが漂っていた。
レースはケンタッキーダービー同様、サンデーサイレンスが先行し、イージーゴアが後方に控える形となった。当然、サンデーサイレンスの先行抜け出しを警戒していたイージーゴアだったが、猛追を図るもクビ差届かず。
後に、年度代表馬にも選出されたサンデーサイレンスが全米の頂点に立った。
翌年、両雄の対決に再び期待が集まったが、故障に見舞われ2頭が引退。ともに種牡馬入りを果たしたが、人気が集まったのは戦いに勝ったサンデーサイレンスではなく、やはり名門出身のイージーゴアだった。
巨額のシンジケートが組まれたイージーゴアに対し、サンデーサイレンスの種付け申し込みはわずか2件……。いくら競走能力が高くとも気性も悪ければ、馬体の見栄えも悪い上に血統も良くない。競走馬を引退したサンデーサイレンスの評価は、まさに仔馬時代に逆戻りしていた。
しかし、それにほくそ笑んでいた日本人がいた。2頭が最後の決着をつけた昨年のブリーダーズCクラシックを現地で観戦していた、社台グループ創始者・吉田善哉(ぜんや)氏である。
「サンデーサイレンスを、早来(北海道)に持ってくるぞ」
そう決心した吉田善哉氏は1100万ドル(当時、16億5000万円程度)でサンデーサイレンスを購入。しかし、当時は「日本人のブリーダーが、とても成功しそうにないヘイローの産駒を買っていった」とアメリカの生産者から笑い者にされている。
ただ、彼らは知らないのだ。それから数年後、サンデーサイレンスの血は日本競馬で一時代を築き上げることを。そして自国のオークスを、その孫に圧勝されてしまうことを――。