武豊さえ成し得なかった「大偉業」に挑戦? JRA「9年・通算48勝」崖っぷちジョッキー原田和真がプリンスリターンと出会った奇跡
美浦での活動を捨て、プリンスリターンの調教をつけに栗東滞在させてくれるよう、オーナーに直談判したのだ。レース騎乗がない日は土日も付きっきりで、この一戦に懸けた。
運命のききょうSはスタートが決まり、2番手に付ける“勝ちパターン”に持ち込めた。最後の直線で力強く抜け出したプリンスリターンは、ルメール騎手の猛追を半馬身差しのいで2勝目をゲット。本馬にとってだけでなく、原田騎手にとっても「G1切符」を掴む極めて大きな勝利となった。
その後、原田騎手にとってデビュー8年目にして初のG1舞台となった朝日杯FSは、15番人気の低評価を覆して5着に力走。だが、原田騎手にとって痛恨だったのは、その後のシンザン記念だったに違いない。
「相手なりに作戦を立て、その通りの競馬ができました。言うことない……ですけどね」
前走のシンザン記念、プリンスリターンと原田騎手は道中2番手につける“必勝パターン”に持ち込んだ。しかし、最後の直線で一度は先頭に立つも、サンクテュエールとの叩き合いに持ち込まれ、クビ差の2着……。
鞍上は奇しくも、プリンスリターンが2勝した際、いずれも2着のルメール騎手だった。
あれから1カ月、プリンスリターンと原田騎手に海外挑戦という、さらに大きな夢が舞い込んだ。まだ出走が決まったわけではないが、原田騎手は「誰よりも、この馬の力を出せる騎乗ができる自信はあります」と胸を張り、陣営も「選出されれば、引き続き原田君とのコンビで遠征する予定」と主戦騎手としての信頼は大きい。
特殊な例を除くと稀代の「記録男」武豊騎手を含め、初の重賞勝利が海外G1という偉業を達成したJRAの日本人騎手はいない。どんな名ジョッキーにも、騎手人生を大きく変えたような馬との「出会い」がある。苦労人の原田騎手にとって、プリンスリターンがそうであることを願うばかりだ。