JRA「復活」期して心機一転!? 関東でお馴染みのアノ騎手が栗東移籍を決断した理由とは……。
柴山騎手は1978年2月19日生まれで大阪府出身。 1998年に笠松競馬でデビュー。2004年にJRA騎手免許試験を受験したが、筆記試験の一次試験から挑戦して一発合格。同じく笠松から中央に移籍した安藤勝己元騎手らに続き、地方競馬から4人目の移籍騎手となった。
移籍初年度から80勝をあげる大活躍を見せ、人気薄で重賞を勝つなど存在感を増していく中、2007年に出会ったのが南半球産の素質馬ロックドゥカンブだった。
初コンビを組んだラジオNIKKEI賞(G3)を勝つと、秋にはセントライト記念(G2)も勝利。本番の菊花賞(G1)では、4戦無敗の戦績を評価され、1番人気の支持を受けたものの、それまでの先行から一転して後方からの競馬で前の馬を捉え切れずに3着に敗れた。柴山騎手が最もG1ジョッキーに近づいた瞬間だったかもしれない。
以降は12年阪神JF(G1)をクロフネサプライズで2着、15年NHKマイルC(G1)をアルビアーノで2着するもG1勝利は得られなかった。重賞レースも17年函館記念(G3)をルミナスウォリアーで勝利してから3年間、勝利から遠ざかっている。
近年は16年の54勝から17年25勝、18年25勝、19年24勝と伸び悩み、騎乗数も最盛期だった2006年の半数となっていた。2020年もここまで1勝でリーディング78位にとどまっている(3月1日現在)。
最近では、16頭立ての16番人気という最低人気だったケイティブレイブで、フェブラリーS(G1)を2着に激走した長岡禎仁騎手は、乗り鞍が減少したことをきっかけに栗東へ移籍した苦労人だ。
ケイティブレイブの騎乗依頼は約2年間、杉山厩舎の調教に乗り続け、今回は放牧からの帰厩後も、つきっきりで調教に騎乗していたことを評価された。その結果、G1初挑戦のチャンスをつかんだことにも、柴山騎手が刺激を受けているかもしれない。
また、関東に比べて激戦区のイメージが強い関西ではあるが、過去にも同様の事例はある。国分優作騎手や水口裕也騎手、中谷雄太騎手なども美浦から栗東へ移籍している。
柴山騎手は今回の栗東移籍について「骨折をして騎乗数が減ったので、栗東で調教に乗って少しでも乗り馬を増やして頑張っていけたら……」と新天地での騎乗馬の確保に意欲を見せた。
「馬に乗ってこそ、活躍の場がある」のが騎手という職業である以上、減り続ける騎乗依頼に危機感を抱いたゆえの決断だったといえるだろう。若手の台頭も目立つ昨今、打開策として16年在籍した美浦から移籍することには家族の理解も含め、大きな決断となったに違いない。