JRA武豊「引退」囁かれたザタイキ事件から10年。完全復活へ「『武豊』の真価が問われている」毎日杯(G3)サトノインプレッサは「らしい」勝利
「おっと、ここで落馬!ザタイキ落馬!」
毎日杯の最後の直線、騎乗していたザタイキが突然バランスを崩し、前のめりに落馬した武豊騎手が地面に叩きつけられた。衝撃でヘルメットが宙を舞い、動けない。すぐに救急車で運ばれると、左鎖骨遠位端骨折、腰椎横突起骨折、右前腕裂創という重傷……全治は半年と診断された。
特に症状が重かったのが左肩だ。まったく動かすことができず、プレートで固定することに。武豊騎手で弥生賞(G2)を制し、クラシック戦線で本命視されていたヴィクトワールピサは急遽、岩田康誠騎手で皐月賞に挑み、見事戴冠。成すすべなくレースを見守るしかなかった武豊騎手は翌月、5月の日本ダービー(G1)の騎乗も断念する旨を発表した。
キャリア初のケガによる長期離脱。騎手として何もできない日々が続く中、武豊騎手は「俺は競馬で乗ることしかできない人間なんだな」と改めて痛感したという。小学5年生で馬に乗り始めてから、初めて競馬から遠ざかる時間。これまでほぼ「成功」だけを積み上げてきた天才にも、人間らしい焦りがあったようだ。
そんな武豊騎手が復帰したのは8月1日。全治半年の大ケガからの早期復帰だったが、結果的にこれが「武豊低迷」の大きな引き金となる。
後に自ら「あの時はまだ左肩の状況が悪く、誤魔化しながら乗っていたところがあったかもしれません」と告白している通り、復帰当初から武豊騎手の手腕はかつての華麗さを潜めた。思うように勝てない日々が続き、2010年は69勝。翌2011年は64勝、2012年の56勝はキャリア最低の数字となった。
勝てない騎手には、乗せない――。「『武豊』でも結果が出ないとこういう状況になる。シビアな世界だと思った」競馬界の弱肉強食は、絶対王者と謳われた武豊騎手をもってしても例外ではなかった。思うように動かない身体に、周囲から「引退」の2文字が囁かれる中、「『武豊』の真価が今問われている」と必死に耐え忍んだ。
「僕は帰ってきました!」
2013年、キズナで自身の復活を告げるダービー制覇を成し遂げた際、東京競馬場は駆けつけた約14万人のファンの「ユタカコール」に包まれた。あの落馬事故から3年が経っていた。武豊騎手はこの年、勝ち星を97勝まで回復。2015年には6年ぶりの100勝超えを達成し、翌年から歴史的名馬キタサンブラックとのコンビで完全復活を遂げる。
衝撃的な事件から10年。将来有望なサトノインプレッサに重賞レースから騎乗し、即座に結果を出す姿は、弱肉強食を勝ち抜く一流ジョッキーのそれであり、ある意味では「最も武豊騎手らしい勝利」ともいえる。
あのレースを最期に予後不良処分となってしまったザタイキは、タイキシャトルやタイキブリザードといった名馬が所属した大樹ファームが、あえて「これこそ大樹」と命名するほどの期待馬だった。サトノインプレッサ、そして武豊騎手には、人馬無事にザタイキが果たせなかったG1制覇を実現させてほしいと願うばかりだ。