JRA「勝つのはダービーでいい」“異例”の東京開催で早くも混戦を断ったオルフェーヴル! 日本に元気を与えた2011年皐月賞(G1)
2011年3月11日、未曽有の大災害が日本を襲った。
震源地に近い東北地方では甚大な被害が発生し、関東地方でも電力不足や地盤の液状化現象など影響を与えた東日本大震災。これにより大変な生活を送った人も多く、また世の中には自粛ムードが蔓延していた。
この震災は競馬界に与えた影響も大きい。東日本地区での中央競馬の開催は中止となり、再開するのに要した期間は約1か月半。そのため、皐月賞(G1)は予定より1週遅れ、1988年以来の東京開催という極めて異例のレースとなった。
被害の大きかった地域では、新型コロナウイルスの影響に苦慮する現在よりも遥かに重い自粛ムードが続いた。そんな中、多くの喜びが入り混じる不思議な状況下で関東の競馬が再開。皐月賞を制したのは、のちの3冠馬オルフェーヴルだった。
この年は、前哨戦のたびに勝ち馬が変わる混戦模様だったクラシック戦線。レース前の下馬評では、単勝オッズ10.8倍の4番人気とオルフェーヴルは低評価だった。それもそのはず、皐月賞までの成績は【2,2,1,1】とあまりパっとしていない。さらに兄ドリームジャーニーは左回りを苦手としており、オルフェーヴル自身も京王杯2歳S(G2)で10着に大敗していた。これが低評価の原因である。
しかし、これまでの敗因にはしっかりと理由があった。京王杯2歳Sでは、オルフェーヴル最大の問題である「気性」の悪さがいかんなく発揮され、終始かかりっぱなしで精彩を欠いていたのだ。その後、陣営は控える競馬を覚えさせることに専念。なかなかレースで勝ち切ることはできないものの、しっかりと終いの脚を使えるようになっていく。
努力が実を結んだのが皐月賞の前哨戦のスプリングS(G2)だ。後方からレースを進め、直線で先行馬をしっかり差し切って皐月賞の切符を手に入れた。これまで勝ちきれないレースが続く中、「勝つのはダービーでいい」と池添騎手に競馬を教えることを優先させた陣営の判断が結果に表れた瞬間である。
そして本番・皐月賞では中団で折り合いをつけてレースを進め、直線で抜け出しを図った。残り200mで先頭に立つと、そこからはオルフェーヴルの独壇場。後続を突き放す一方で、2着サダムパテックに3馬身差をつける圧勝だった。混戦に終止符を打ち、久々の関東圏での競馬開催に華を添えるかのような勝利だ。
左回り不安を払拭し、日本ダービーへの期待が膨らむオルフェーヴル。池添謙一騎手は「初めて府中の直線が短く感じた」と振り返っており、怪物の片鱗を感じていたようだ。池江泰寿調教師も「競馬はブラッドスポーツ。ドリームジャーニーがクラシックで結果が出なかったのはいい勉強になった」と兄のリベンジを果たせたことに満足げだった。
またこの勝利は生産者である白老ファームにとっては、創業18年目にして悲願のクラシック制覇でもある。これまで同牧場出身のゼンノロブロイ、ステイゴールド、ドリームジャーニーといった名馬たちが超えられなかった壁を越えたのだ。
多くの人に感動を与えたオルフェーヴル。その後、「黄金色の芸術」は数々の伝説を打ち立てていくことになる……。
今年は新型コロナウイルスの影響で、どこか9年前の皐月賞に似た雰囲気があるかもしれない。中山競馬場を舞台にどんなドラマが起こるだろうか。