JRA今年は戦後「最も静かな」日本ダービー(G1)に……30年前、伝説「中野コール」からキズナ武豊「豊コール」までダービー史を彩った大声援
新型コロナウイルスの影響で無観客開催が続く中央競馬。31日には競馬の祭典「日本ダービー(G1)」が東京競馬場で行われる。
通常なら大盛り上がりとなるはずの3歳馬の頂上決戦。今年は現地で大歓声を上げることも、それを聞くこともできない。ダービーが無観客で行われたのは歴史上1度だけある。戦時中の1944年だ。その時は馬券も発売されず、能力検定競走として行われた。今年は戦後“最も静かなダービー”になることは間違いないだろう。
逆に最も大きな歓声が起こったのは、どのダービーだったのだろうか。
40代以上のオールドファンなら1990年のダービーを真っ先に思い浮かべるはずだ。30年前の5月27日、東京競馬場に詰めかけた19万6517人という入場者数は今もJRAの史上最高記録を誇る。
その年のダービーを制したのがクラシック第1弾・皐月賞で1番人気を裏切り、2着に敗れたアイネスフウジンだった。鞍上にはデビューから手綱を取っていた現調教師の中野栄治が引き続き配されメジロライアン、ハクタイセイに次ぐ3番人気と、やや評価を下げて本番を迎えていた。
皐月賞の汚名をすすぐべく、逃げの手を打った中野とアイネスフウジン。4コーナー手前で後続にプレッシャーをかけられる厳しい展開となったが、ゴールまで他馬に影を踏ませない逃亡劇を演じ、世代の頂点に輝いた。当時の中野は私生活でのトラブルなどもあって、前年の勝ち鞍はわずか9勝。乗り馬に恵まれない苦しい時期が続いていた。そんな人間模様を知ってか、レース後には20万人近い大観衆から自然発生的に「中野コール」の大合唱が起きた。
実は競馬場での「○○コール」は、これが最初といわれている。
競馬ブームに沸いた当時「中野コール」を発端に、幾つかの「コール」が競馬場に鳴り響いた。代表的なのは、同年有馬記念での「オグリコール」だろう。芦毛の怪物、オグリキャップの引退レースだ。それ以降も、ウイニングチケットで悲願のダービー制覇を果たした柴田政人騎手への「政人コール」など幾つもの「大声援」が競馬場にこだました。
【代表的な〇〇コール】
1990年ダービー/アイネスフウジン「中野コール」
1990年有馬記念/オグリキャップ「オグリコール」
1992年ジャパンC/トウカイテイオー「テイオー→岡部コール」
1993年ダービー/ウイニングチケット「政人コール」
1994年菊花賞/ナリタブライアン「南井コール」
2000年ダービー/アグネスフライト「河内コール」
2013年ダービー/キズナ「豊コール」
コロナ禍にあって、レースが施行されていることは競馬ファンにとって非常に大きい。しかし我々にとって本当の意味で“コロナ”との闘いに勝利宣言できるのは無観客開催が終わり、場内実況をかき消すような「コール」を聞くときではないだろうか。それは数か月後、もしかすると数年後になるかもしれないが、多くのファンがその時を待っている。