天皇賞(秋)の記憶~武豊が認めた最速馬・サイレンススズカの影~
香港遠征は勝ち馬から0.3秒差の5着だったが、レース内容は将来の飛躍を十分に予感させるものであった。そして明け5歳(現4歳)となったサイレンススズカは、オープン特別のバレンタインステークスに出走し0.7秒差で圧勝すると素質が一気に開花する。続く中山記念で重賞初制覇を達成、小倉大賞典、金鯱賞をレコードタイムで圧勝、特に金鯱賞は2着に1.8秒もの差を付けており、そのインパクトは見るものすべてを圧倒した。そして宝塚記念でG1レース初勝利を達成と連勝は止まらない。さらに休養明けの毎日王冠ではエルコンドルパサー、グラスワンダーといった強豪を相手に脚を余しながら0.4秒差の圧勝と圧倒的なスピードを見せつけた。
重賞5レースを含む6連勝、しかも圧勝続きとなれば当然天皇賞(秋)も断然人気となり、マスコミも競馬ファンもその「勝ち方」を焦点として盛り上がり、また武豊騎手もかなりの手応えを感じていた。
1998年11月1日東京競馬場。この日の主役は完全にサイレンススズカと武豊だった。単勝1.2倍が示すようにファンはサイレンススズカの勝利を疑わず、競馬場は午前中から異様な雰囲気に包まれていた。しかし競馬場に訪れた14万1862人の競馬ファンはスタートから1分後、まさかの出来事を目撃してしまう。
この日行われた第118回天皇賞(秋)はサイレンススズカを筆頭にステイゴールド、シルクジャスティス、メジロブライトといった馬が出走していたが、多くの実力馬がサイレンススズカの対戦を避けて12頭立てと少頭数となった。さらに毎日王冠、宝塚記念などで勝負付けが済んだ馬が多く、毎日王冠で記録した1分44秒9の走破時計からも、天皇賞(秋)で逆転できる要素を持つ馬は見当たらなかった。
以前のような気性難を見せることなく落ち着いたサイレンススズカは、いつもように好スタートを決めて絶好のスピードで逃げていく。明らかにハイペースに見えるが武豊騎手は「これがサイレンススズカのペースでまったく無理をしていない」と語っており、まさにエンジンの違いといえるものであった。
快調に飛ばしていたサイレンススズカは1000mを57秒4というペースで飛ばし、誰もがレコードタイムの更新を確信した。しかし3コーナーを過ぎたその瞬間、サイレンススズカは左前脚に故障を発症して競走を中止、武豊騎手は手綱を引き4コーナー奥で下馬、ゴールに辿り着くことはできなかった。レースは伏兵のオフサイドトラップが勝利したが、その優勝馬を讃える声はなく、競馬場にはどよめきと悲鳴が響き渡り、誰もが4コーナーのサイレンススズカに注目した。