天皇賞(秋)の記憶~武豊が認めた最速馬・サイレンススズカの影~
しかしその結果は残酷なものであった。左前脚の手根骨粉砕骨折で予後不良、安楽死処分となってしまったのである。圧倒的な勝利が期待され、14万人の競馬ファンが見守った天皇賞(秋)の舞台でまさかの結末、多くの競馬ファンが嘆き悲しんだ。
1年前の天皇賞(秋)で身につけた「逃げ」という選択肢。その逃げが同馬に数々の栄光を与えたが、1年ぶりのこの舞台でその「逃げ」を最後まで見せることはできなかった。数々の名馬に跨がった武豊騎手が、ディープインパクトに出会うまで「最強」と認めたサイレンススズカの存在。同馬が健在ならどんな記録が残っていただろうか。
あのレースから18年後も武豊騎手は天皇賞(秋)に騎乗する。相棒は奇しくもサイレンススズカと同じ逃げ馬のエイシンヒカリ。同馬もタイプこそ違うものの類い希なスピード持つ馬であり、その姿をサイレンススズカに重ねている競馬ファンも少なくない。そして競馬の神様がいたずらしたのか、エイシンヒカリはサイレンススズカと同じ1枠1番に入った。武豊はエイシンヒカリの鞍上でサイレンススズカの影を追うだろうか。