JRA稀代の快速馬サイレンススズカも撃破! 競馬の神様も本命に推したアノ菊花賞馬が永眠

 31日、1997年の菊花賞(G1)を制したマチカネフクキタルが、けい養先である山梨県の小須田牧場で亡くなったことが分かった。公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナルが発表した。

 オールドファンには懐かしいマチカネ軍団で唯一のG1勝ち馬がフクキタルである。同馬とセットで有名なワラウカドやマチカネタンホイザなど、多数の活躍馬を送り出した故・細川益男氏(さん)がオーナーだった。

 マチカネフクキタルが活躍したこの年のクラシックはサニーブライアンが皐月賞(G1)、日本ダービー(G1)を優勝して二冠を達成。同世代にはメジロブライト、シルクジャスティス、サイレンススズカなどの個性豊かなライバルがいた。

 後の菊花賞を勝つことになるマチカネフクキタルだが、春のクラシックシーズンは一介の穴馬に過ぎなかった。世代トップクラスの評価を受けていたメジロブライトやサニーブライアンらに比べると地味な存在だったといえるだろう。プリンシパルS(OP)で2着に食い込んで、何とか出走した日本ダービーは、11番人気で7着に終わった。

 頭角を現したのはさくらんぼS(900万下・当時)を楽勝して臨んだ神戸新聞杯(G2)だろう。1番人気に支持されたサイレンスズスカの作り出したハイペースを直線最後方から一気に差し切った。

 この勝利を評価された京都新聞杯(G2)では、春当時は雲の上の存在だったメジロブライトから1番人気の座を奪い取ることにも成功。夏の上がり馬は3連勝で最後の1冠となる菊花賞へと歩を進めた。

 だが、スピード重視の近代競馬とは違って、当時はまだまだ長距離戦でステイヤーが幅を利かせていた時代である。マチカネフクキタルの父クリスタルグリッターズは短距離志向が強かった上に、スピード色の強い母系も嫌われて3番人気の評価にとどまった。

 そんななかで距離不安説を真っ向から否定したのが、競馬の神様といわれた故・大川慶次郎氏(さん)だ。多くの競馬記者やTMが距離不安を唱えた中で敢然と本命を打ち、マチカネフクキタルも大川氏の期待に応えて見事に優勝。長距離の申し子リアルシャダイ産駒ダイワオーシュウを上がり3ハロン最速の末脚で2着に退け、スピードでステイヤーを圧倒してみせた。

「当時はまだレース体系が現在ほど明確に分かれていなかっただけに、マチカネフクキタルの菊花賞勝利は強烈なインパクトを残しました。

また、大御所であるにもかかわらず、先入観に捉われなかった予想もさすが競馬の神様といえる予想でした。オッズを左右するほどの影響力を持った予想家は、後にも先にも大川先生くらいだったかもしれません」(競馬記者)

 近年はスピード競馬が全盛の時代ともいわれ、かつてに比べてトップクラスの馬が長距離レースを避ける傾向が強くなっている。

 短距離血統だったマチカネフクキタルが菊花賞を制したことは、スピード重視の時代の幕開けを告げる象徴だったのかもしれない。

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