JRA菊花賞(G1)西山茂行オーナーが語った「異端の逃亡者」誕生秘話。グレード制導入以降「唯一」逃げ切ったセイウンスカイの伝説【特別インタビュー】
西山オーナー ありません、ありません(笑)。本当に期待してなかったので、全部売るつもりでした。そんな中で、牧場のスタッフと保田(一隆)調教師が「これ、ちょっと良い馬だから、やらせてほしい」という話になって。
――それがセイウンスカイ。
西山オーナー 正直、それでも全然気にしていませんでした。正月明け1月5日の中山1600mの新馬戦でデビューしたんですけど、大外の16番に入っちゃって……。
――中山のマイル戦はスタートすぐにコーナーがあるので、外枠が不利と言われています。
西山オーナー それもあって、まったく期待していませんでした。僕はちょうど、釣りバカ日誌の(作者)やまさき十三さんと中山競馬場で餃子を食べてたんですけど、セイウンスカイが途中で先頭に飛び出して、十三さんが
「おい、お前の馬、先頭走ってるぞ!」
「4コーナーまで、4コーナーまで……」
「まだ先頭だぞ!」
「まだまだ、どうせゴール前で止まります」
って言ってたら、5馬身も6馬身もちぎって勝っちゃって(笑)。
そしたら阿部幸太郎(競馬評論家)が「自分は長いこと競馬見てるけど、中山のマイルの新馬戦で大外枠を引いたのに逃げ切って、6馬身も離している馬は初めて見た」って言うのよ。
――衝撃的なデビュー戦だった。
西山オーナー それでも僕は全然信用していませんでした。なにせ、今までのシェリフズスター(の産駒)が走らな過ぎたから。
それで(皐月賞と同じ)中山の2000mを使うためにジュニアC(OP)に出た。当時、上原(博之)厩舎にメガヒットっていう評判馬がいたんですけど、それに「胸を借りるつもりで行こう」と思って。5馬身差で逃げ切っちゃった。
――いよいよ「これは本物だな」と。
西山オーナー 私はあのジュニアCを見て「ああ、これでウチの親父(西山正行さん)が死ぬ前に、牡馬クラシックに間に合った」と思いました。その時もう、パーキンソン病を患って自力で歩けなかったので、皐月賞を勝った時もみんなで支えてね……。
ただただ競馬が好きで、私財をなげうって牧場を作って、長いこと競馬をやってきたウチの親父に、どうしても縁がなかった男馬のクラシック。あの時のセイウンスカイを見て「最後の最後に間に合った」と思いました。
――まさかシェリフズスターから、最後にあんな大物が。当時はすでに種牡馬廃用になっていたことも、大きな話題になりました。
西山オーナー あの血統、デビューまでの色んな背景を考えますと、セイウンスカイという馬は、ただただ「西山正行をクラシックの表彰台に乗せるために生まれてきた馬」としか、説明のしようがないんです。
――確かに、セイウンスカイの母シスターミルにはその後、サンデーサイレンスやラムタラといったシェリフズスターよりも優れた種牡馬が配合されましたが、弟や妹はほとんど活躍できませんでした。
西山オーナー セイウンスカイは突然変異ですよ。今から考えても、何故あんな馬が出てきたのかわからない。