JRA天皇賞・秋(G1)キセキ、ウインブライトら「6歳馬」4頭が敗退で「キョウエイプロミスの呪い」がまたも継続!? 37年前の悲劇とは……
アーモンドアイが新記録となる芝G1・8勝目を挙げた今年の天皇賞・秋(G1)。女王にとってベストの条件とされる東京芝2000mで、歴史にその名を刻んだ。
上位4着までを占めたのは、4~5歳馬。今年の出走馬12頭に7歳以上の馬はいなかったが、4頭いた6歳馬で最先着を果たしたのは4番人気のキセキで5着だった。これに続いたのは、ダイワキャグニー(6着)、カデナ(8着)、ウインブライト(10着)。いずれも人気以上の着順に好走したが、掲示板は外した。
データ派にとって、この天皇賞・秋では「年齢」が非常に重要なファクターとなっている。1984年のグレード制導入後、6歳以上の馬の成績は「2-3-4-161」。勝率は1.2%、複勝率も5.3%と、かなり苦戦していることが分かる。
その2勝を挙げたのは、1998年のオフサイドトラップと2009年のカンパニー。前者は7歳、後者は8歳だった。つまり、1984年以降、6歳馬は一度も天皇賞・秋を制していないということになる。
6歳馬の最後の勝利は、グレード制が導入される直前の1983年までさかのぼる。「秋天」が3200mで行われた最後の年だ。この年の秋の盾を制したのはキョウエイプロミスという6歳馬(当時の表記では7歳)だった。
3歳時はクラシックレースに出走できず、頭角を現したのは5歳になってからという遅咲き。5歳時にダイヤモンドSと毎日王冠を制するなど、東京コースで結果を残していた。5歳時に出走した天皇賞・秋は3番人気に支持されるも、7着に敗れた。しかし、6歳秋に毎日王冠(3着)から、再び天皇賞・秋に出走。2番人気に支持される中、見事先頭でゴールイン。同馬にとって初の大レース制覇となった。
翌年から2000mに距離が変更され、1勝ずつとはいえ7~8歳馬が勝っているにもかかわらず、6歳馬の勝利は一度もない。6歳馬が勝てないこの現象を“キョウエイプロミスの呪い”と呼ぶ者もいる。
「1983年の秋の天皇賞を制したキョウエイプロミスの陣営は、次のレースにジャパンカップを選択しました。その年に3冠馬に輝いたミスターシービーがジャパンカップを欠場したことも、キョウエイプロミスの出走を後押ししたといわれています。当時はまだ海外馬が圧倒的に強い時代。外国馬が5番人気までを占め、キョウエイプロミスは10番人気でした。しかし、そんな下馬評を覆す好走で、優勝したスタネーラからアタマ差の2着に入りました」(当時を知る競馬記者)
しかし、天皇賞・秋に続く激走の反動は大きく、キョウエイプロミスはレース中、右前脚に故障を発症していた。競走能力喪失という診断が下り、そのまま引退。その年を最後に、天皇賞・秋で6歳馬は優勝していない。
今年好走したフィエールマンやダノンプレミアムは、6歳を迎える来年も挑戦する可能性はあるだろう。近い将来、“キョウエイプロミスの呪い”が解ける日は来るのだろうか。