JRA「これからの人生で、後悔の感情がずっと残りそうです」レイパパレ調教師が味わった「名牝」の挫折……皐月賞1番人気からの急落と批判
当時の競馬界の話題の中心にいたのは、高野厩舎の管理馬ファンディーナだった。デビューから3連勝、それも2着に付けた着差の合計が15馬身3/4。繰り返される圧勝劇に、陣営がぶち上げたのが牡馬クラシック皐月賞(G1)の挑戦だった。
ちなみにグレード制導入以降、牝馬が皐月賞に挑戦した例は、バウンズシャッセとダンスダンスダンスの2頭だけ。勝てばウオッカの64年ぶりを超える69年ぶりの快挙と、注目が集まらないわけがなかった。
しかし、1番人気に推された皐月賞でファンディーナは7着に惨敗……。
日本ダービー挑戦プランも立ち消え、さらには復帰後のローズS(G2)や秋華賞でも人気を裏切り続け、陣営は大きな批判にさらされた。
結局、ファンディーナは秋華賞後のリゲルS(OP)に出走した後に骨折が判明し、無念の引退。高野調教師は「これからの人生で、後悔の感情が心の奥底にずっと残りそうです。本当に申し訳ない思いです」と後悔の言葉を残している。
「ファンディーナの皐月賞挑戦を決めたのはオーナーサイド。当時のパフォーマンス、デビューから3戦続けて1800mで結果を出していたこと、フラワーC(G3)から桜花賞(G1)までの間隔を考慮しても、決してそこまで破天荒な判断ではなかったと思いますし、厩舎としては最善を尽くした結果だったのではないでしょうか。
その後、ひと夏を挟んで立て直しを図った陣営ですが、夏負けしたファンディーナは帰厩後も思った通りの調整が叶わず、徐々に歯車が狂っていった印象です。
皐月賞の敗戦がファンディーナのキャリアに大きな影響を与えてしまったのかは、定かではありません。ですが、大きな注目を集めていた存在だっただけに、陣営には批判が集まってしまいました」(競馬記者)
「間違っちゃいけないのが牝馬なので――」
あれから3年。レイパパレという大きなスケール、そして大きな危うさを秘めた名牝に再び出会った高野厩舎は、自己最多の年間重賞5勝と充実ぶりが著しい。
これで5連勝とデビューから続く連勝の数では、三冠牝馬デアリングタクトに並んだレイパパレ。底知れない可能性の開花は、牝馬の酸いも甘いも噛み分けた高野厩舎の手腕に懸かっているのかもしれない。