JRA「秋かよ――」藤沢和雄調教師が今でも忘れない武豊の“非情”宣告……15年も「回り道」させられたダービートレーナーの称号
最強女王アーモンドアイこそG1・9勝の伝説を残してターフを去ったものの、無敗の三冠を成し遂げたコントレイル、デアリングタクトを始め、新女王グランアレグリア、春秋グランプリ制覇のクロノジェネシス、白毛馬のソダシなど、2020年は数多くの印象的な名馬が誕生した一年だった。
その一方、G1を3勝して三冠馬ナリタブライアンの兄としても知られるビワハヤヒデ、1996年の年度代表馬サクラローレル、数多くの名ステイヤーを輩出したダンスインザダーク、マイル王ハットトリック、女傑スイープトウショウなど、かつてターフを彩った名優たちが他界……。訃報が届くたびに、多くの競馬ファンから嘆きや思い出話がネット上を賑わせた。
中でも、現在の競馬に最も影響を与えている1頭といえば、有馬記念(G1)を連覇したシンボリクリスエス(没21歳)ではないだろうか。
今年、デアリングタクトが牝馬三冠を成し遂げたことで、種牡馬としての地位を確立したエピファネイアは本馬の産駒であり、その血は脈々と受け継がれつつある。また障害界の絶対王者オジュウチョウサンの母父であり、年末の有馬記念に出走したオーソリティの母父としても存在感を見せてくれた。
そして、何よりシンボリクリスエスは歴史的名伯楽となる藤沢和雄調教師に、大きな影響と“財産”を残した名馬としても知られている。
「いろいろ勉強させてもらった馬です」
シンボリクリスエスが藤沢厩舎の管理馬としてデビューした2001年、90年代に猛威を振るった外国産馬、いわゆるマル外全盛の時代は終わろうとしていた。米国の二冠馬サンデーサイレンスが種牡馬として導入され、日本産馬の質は劇的に向上。シンボリクリスエスは、そんなマル外凋落の時代に生まれた最後の大物と言っていいかもしれない。
デビュー戦を藤沢厩舎のエース・岡部幸雄騎手(現競馬評論家)で快勝したシンボリクリスエスは翌2002年、日本ダービー(G1)出走を懸けて青葉賞(G2)に挑んだ。
当時の藤沢厩舎は、すでに押しも押されもせぬ名門厩舎だったが、日本ダービーのタイトルには未だ手が届いておらず、師にとってもダービートレーナーの称号は是が非でも欲しい重要なタイトルだった。
そこで陣営が白羽の矢が立てたのが、No.1ジョッキーの武豊騎手である。
天才騎手の手綱に導かれたシンボリクリスエスは見事、青葉賞を快勝。一躍、日本ダービーの最有力候補の1頭に名乗りを上げることとなったがレース後、武豊騎手から掛けられた一言を藤沢調教師は今でも覚えているようだ。