JRA武豊が遂に決断!? 桜花賞(G1)メイケイエールが開く「パンドラの箱」――。サイレンススズカ再来を予感させる意外な素顔
1997年2月、同馬は上村洋行騎手とのコンビでデビューを圧勝。5着のプレミアートに騎乗していた武豊騎手が「皐月賞もダービーも全部持っていかれる。痛い馬を逃したと思った」と『Sports Graphic Number』(文藝春秋)のインタビューで語ったように、そのポテンシャルは計り知れないほどのものだった。
しかし、3歳時はレースで見せるかかり癖が災い。思うような結果を出せず、出走に漕ぎ着けた日本ダービー(G1)でも9着に敗れている。
そんなサイレンススズカが武豊に回ってきたのは、同年末の香港国際カップ(G2)。レースでは5着と敗れたが、武豊騎手は師に対して「今日は負けたけれども、この馬には押さえない競馬が向いている」と進言したという。
逃げ馬として覚醒したサイレンススズカは、年明けから破竹の6連勝。他馬を大きく突き放す「大逃げ」は、負ける姿が想像できないほど鮮烈なものだった。最後のレースとなった天皇賞・秋(G1)でも圧勝が期待されたが、4コーナーの手前で突然の失速。結局予後不良と診断され「伝説」となったのは有名な話だ。
当時、同馬を管理した橋田満調教師は、サイレンススズカの気性について「普段は大人しく、人の言うことをよく聞く馬だった」と語っている。まさにメイケイエールに通ずるような性格をしていたといえるだろう。
サイレンススズカが天国に旅立って約22年。武豊騎手はメイケイエールについて「桜花賞は腹をくくって乗るしかありません」と答えた。「逃げるという選択もあり」という判断に至ったのも、押さえない競馬が向いている可能性を感じたからに他ならないのではないだろうか。
「不安に思うより、楽しみと考えることにします」
最後にそう語った武豊騎手。桜花賞では、伝説の続きが見られるかもしれない。