有馬記念、武豊と大観衆を打ち砕いたルメールの神騎乗 ~ハーツクライとディープインパクトの記憶~
この時点でもファンはディープインパクトの勝利を疑うことはなかった。それほどまでにディープインパクトが持つ”豪脚”は他を圧倒してきたのだ。そしてハーツクライもそろそろ止まるだろうと… しかしハーツクライの脚は止まるどころかさらに加速していく。直線追い込んできたディープインパクトは今までのような”豪脚”を見せることができず、一度も馬体を並べることができないまま2着に敗退してしまった。
この時の中山競馬場を何と表現したらいいのだろうか。競馬人気を考えればディープインパクトが圧勝し、誰もが納得する結末がもっとも喜ばしかったかもしれない。しかしこのレースにはそんな思惑を吹き飛ばす、ルメールという騎手の「矜恃」がそこにあったように思う。
まさかの勝利だったかもしれない。しかしこのレースで覚醒したハーツクライは翌年、大仕事をやってのける。翌年陣営は国内ではなく新たな挑戦を海外に向けた。5歳になったハーツクライはまず3月のドバイシーマクラシックに遠征。ここでも有馬記念同様に先行し、2着に4馬身差の圧勝。春の天皇賞、宝塚記念には目もくれず次なる挑戦はヨーロッパ競馬を代表するキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス。ここでは前年の凱旋門賞馬ハリケーンランらを相手に3着に好走し帰国、秋の目標をジャパンカップと有馬記念に定めた。
その第26回ジャパンカップはディープインパクトとの再対決が話題となったが、レース前の調教中に喘鳴症(ノド鳴り)が発覚し、陣営はあえてその事実を公表。一般的に喘鳴症は公表の義務はないが、橋口調教師は馬券を買うファンのために公表を選択。レースでは影響がないと判断し出走したもののまさかの10着に大敗してしまう。その後有馬記念への出走を希望するオーナーサイドを橋口調教師が説得し、有馬記念に出走することなく引退が決定、種牡馬入りとなった。