JRA横山典弘「あの馬に巡り会っていなかったら違う人生になっていた」。「無冠の帝王」メジロライアンとのクラシックから31年、三男・武史がいざ「父超え」へ!
18日、中山競馬場では第81回皐月賞(G1)が開催される。「最も速い馬が勝つ」といわれるこのレースを制するのは、果たしてどの馬か。
有力視される1頭がエフフォーリア(牡3歳、美浦・鹿戸雄一厩舎)だ。昨夏のデビュー戦から横山武史騎手とのコンビで、無傷の3連勝中。昨年22歳にして関東リーディングに輝いた同騎手にとっては、皐月賞は5年目にして初騎乗。G1初制覇の大きなチャンスを迎える。
その横山武騎手の父は、ご存じ横山典弘騎手。今年36年目、現役では武豊騎手に次ぐJRA通算2846勝を記録する大ベテランだ。横山典騎手は、今から31年前の1990年、奇しくも息子と同じ5年目の節目の年に皐月賞に有力馬で参戦した。
それが2番人気に支持されたメジロライアンだった。
18頭立ての13番枠からスタートした横山典騎手とメジロライアン。行き脚がつかず、直線が短い中山では絶望的といえる後方2番手からの競馬を強いられた。4角では9番手まで押し上げたが、直線で馬群の真ん中を突くと、前が壁になる場面も……。ワンテンポ遅れて、外に持ち出すと、鋭く伸びたが、時すでに遅し。勝ったハクタイセイから0秒3差の3着が精いっぱいだった。
「この年の皐月賞で最も強い競馬をしたのが、メジロライアンだったと言われています。つまり、横山典騎手が完璧な騎乗をしていれば勝っていた可能性が高いとも言えますね。
このコンビは続く日本ダービーで1番人気に支持されましたが、逃げたアイネスフウジンに及ばず2着。再び1番人気に支持された菊花賞も3着に敗れ、結局クラシックは無冠に終わりました。その3戦全てで手綱を握った横山典騎手の悔しさは想像に難くありません」(競馬誌ライター)
その後のメジロライアンは有馬記念(G1)でオグリキャップの2着に入るなどG1ではなかなか勝てず、「無冠の帝王」という不名誉なレッテルさえ張られた。ただ、翌年の宝塚記念(G1)では奇襲ともいえる先行抜け出し策で、当時向かうところ敵なし状態だった同じメジロ軍団のメジロマックイーンを破り、G1制覇を成し遂げた。
横山典騎手自身は、前年秋のエリザベス女王杯(G1)をキョウエイタップで制し、G1ジョッキーとなっていたが、3冠街道を歩んだメジロライアンでのG1勝利は格別なものだっただろう。
横山典騎手は2018年のトークショーで、「あの馬に巡り会っていなかったら違う人生になっていた。あの馬なら凱旋門賞でも戦えたのでは……」とメジロライアンとの出会い、そして相棒の能力の高さを述懐している。
その後は競馬界を代表するトップジョッキーに上り詰めた横山典騎手だが、メジロライアンで制した宝塚記念以降は、なかなかG1を勝てずにいた。次の勝利は何と4年以上も経過した95年のマイルCS(G1)。トロットサンダーでのG1通算3勝目だった。
さらに、クラシック初制覇は1998年の皐月賞まで待つこととなる。その時の相棒はセイウンスカイ。8年前のメジロライアンとは真逆の先行抜け出しでの勝利だった。
無敗に終わったメジロライアンとの3冠路線から31年。今度は三男の横山武騎手が素質馬エフフォーリアでG1初制覇に挑む。父がなし得なかった5年目でのクラシック制覇は手の届くところにある。
(文=中川大河)
<著者プロフィール>
競馬ブーム真っただ中の1990年代前半に競馬に出会う。ダビスタの影響で血統好きだが、最近は追い切りとパドックを重視。