JRA 武豊ですら「何もできなかった」ダービー初騎乗の重圧! サニーブライアン「1番人気はいらない。1着だけ欲しい」ほか、名言で振り返るダービージョッキー列伝
25日から26日にかけて、日本ダービー(G1)出走馬が続々と最終追い切りを敢行。大一番に向けて、各馬とも状態の良さをアピールしている。
前走プリンシパルS(L)を快勝して、ダービー出走最後の“切符”を掴んだバジオウが26日、鞍上に決まった大野拓弥騎手を背に美浦坂路で追い切り。馬なりで最後の調整を終えた。
大野騎手は意外にも、デビュー17年目でダービー初騎乗。さらに管理する田中博調教師、馬主の鈴木剛史氏も初挑戦と、結果はどうあれ、陣営にとっては一生忘れることのないレースとなることは間違いないだろう。
「日本で生まれたすべてのサラブレッドは、3年後のこのレースを目指して鍛えられる」とは、数々の名馬を手掛けた名伯楽・橋田満調教師の言葉。
調教師はもちろん、生産者や馬主らすべての関係者は有力な若駒を手にすると、競馬の祭典・日本ダービーのゴールシーンを思い浮かべ、ダービーの日程から逆算して調教とレースのスケジュールを練り上げ、仕上げに取りかかる。
もちろん騎手にとっても、ダービーは特別なレース。その思い入れは激しく、熱い。
今年で通算32回目のダービー騎乗、歴代最多の5勝をマークしている武豊騎手も、ダービージョッキーの称号を掴むまでの道は険しく、なかなかその美酒を味わうことができなかった。
初騎乗はデビュー2年目、コスモアンバーで16着に終わったときは「何もできなかった」とコメント。計9度の挑戦を繰り返すも勝利することはできず、すでにダービー以外の八大競走を制していた武豊騎手ですら、ダービーだけ勝てないのは“競馬界の七不思議”とまでいわれた。
しかし1998年、スペシャルウィークに騎乗した10度目の挑戦で、武豊騎手はついに悲願達成を果たした。「(自らの)今まで積み重ねた全ての勝利と引き換えにしてもいいと思うほど、ダービージョッキーの称号が欲しくて欲しくてたまらなかった」という名セリフを残している。
また、悲願の末に誕生したダービージョッキーといえば、真っ先に思い出されるのが調教師としても活躍した柴田政人氏だ。
93年、なんと19度目の挑戦で初めてダービーを勝ち「これで海外のホースマンに、『私がダービーを勝った柴田です』と言える」という名言を残し、長年の夢が叶った翌年、騎手引退を発表した。
「1番人気はいらない。1着だけ欲しい」という名言を残したのは97年、サニーブライアンに騎乗した大西直宏氏。
前走の皐月賞(G1)を勝利した割に評価が低く、7番人気で挑んだダービーで見事に勝利。レース後、大西騎手は「評価はどうでもよかった」とコメント。とにかくダービージョッキーになりたかったという必死の思いが伝わる名言といえるだろう。
勝者だけでなく、敗者が残した名言もある。