JRA 武豊ですら「何もできなかった」ダービー初騎乗の重圧! サニーブライアン「1番人気はいらない。1着だけ欲しい」ほか、名言で振り返るダービージョッキー列伝
85年のダービーを優勝したシリウスシンボリ。同馬も称賛に値するが、敗れたトウショウサミットに騎乗した、中島啓之氏の名言も忘れられない。
「このレースだけは、騎手の名誉だから」とは、中島騎手の残したダービーに対するコメント。同騎手は74年のダービーで、コーネルランサーに騎乗して優勝した実績を持っていた。
85年、ベテラン騎手ながら同年のオークス(G1)でも2着に入るなどの活躍をみせていた中島騎手。実は末期の肝臓ガンに侵されており、その余命はあと僅かだったという。
医者からは余命3ヶ月と告げられるも、「ダービーだけは騎乗させてくれ」と懇願。医者の方も治せる希望が薄かったのか、人生の最後に悔いを残したくない判断もあったのか、その申し出を許可。
当日のダービーでは、果敢に逃げて最終4コーナーまで先頭を走ったトウショウサミットだが、結果は18着。そしてこのダービーから16日後、中島騎手は天国へと旅立った。
ちなみに中島騎手の父・中島時一氏は、戦前に活躍した騎手。73年のダービーをヒサトモで制しており、父子二代でダービージョッキーの座に就いている点も記しておきたい。
前出のとおり、生産者や馬主、調教師にいたるまで、すべてのホースマンが目標とする日本ダービー。その手綱を任される騎手の責任は重く、プレッシャーも相当なものだろう。
しかしながら、騎手だけが味わう独特の緊張感や、重圧を乗り越えた達成感を「言葉」で表現できるのは、ある意味ジョッキーだけに与えられた特権といえないだろうか。
今年のダービーではどんな名言が誕生するか、期待したい。
(文=鈴木TKO)
<著者プロフィール>
野球と競馬を主戦場とする“二刀流”ライター。野球選手は言葉を話すが、馬は話せない点に興味を持ち、競馬界に殴り込み。野球にも競馬にも当てはまる「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」を座右の銘に、人間は「競馬」で何をどこまで表現できるか追求する。