意表を突くマクり、ベテラン騎手の執念、最も痺れたのは“4角ワープ”が決め手となった三強対決! 日本ダービー(G1)八木遊が絶賛する「名騎乗」3選!
30日、東京競馬場では第88回日本ダービー(G1)が行われる。第1回(1932年)のワカタカから昨年のコントレイルまで、これまで87頭のダービー馬が誕生している。
筆者が初めて目にしたダービーは1991年の第58回。安田隆行騎手(現調教師)のトウカイテイオーが1番人気に応え、無敗の2冠馬に輝いた時だ。その後は、競馬から離れた時期もあるが、過去30年のダービーを改めて振り返り、その中でも選りすぐりの名騎乗をランキング形式で3つほど挙げていきたい。
【3位 2017年レイデオロ by C.ルメール】
4年前のダービーを制したレイデオロとC.ルメール騎手。デビュー3連勝のレイデオロは当時G2のホープフルSを制覇し、ぶっつけで皐月賞(G1)に臨んだ。しかし、スタートでやや立ち遅れると、道中は後方に控える競馬。上がり2位の末脚を繰り出したが5着に追い込むのが精いっぱいだった。
そして迎えたダービー。皐月賞で5着に敗れたとはいえ、休み明けを叩かれての上昇が期待され2番人気に支持された。
五分のスタートを切り、今まで通り無理をせず後方から競馬を進めたレイデオロ。最初のコーナーを13番手で通過すると、2コーナーでも後方のまま。ところが、向正面でルメール騎手が勝負を仕掛ける。
「ペースが遅かったので、馬もリラックスしていたのでポジションを上げて行きました」とレース後に振り返ったルメール騎手。その言葉通り、外を通って一気に進出を開始すると、3コーナーまでに2番手の位置を確保していた。
そのまま直線を向くと、残り300m地点で逃げていたマイスタイルを捉える。しかし、すぐ後ろから3番人気スワーヴリチャードが猛追。徐々に差を詰められるが、最後は3/4馬身の差をつけたレイデオロが先頭でゴールを駆け抜けた。
1000m通過が1分3秒2という超スローで流れたこの年のダービー。もし向正面でルメール騎手が仕掛けていなければ、おそらく勝つことはできなかっただろう。人気馬の“マクリ”に観衆がどよめいたのは言うまでもないが、最も平常心だったのが鞍上のルメール騎手だったのかもしれない。
【2位 2000年アグネスフライト by 河内洋】
実はアグネスフライトが勝ったダービーをリアルタイムでは見ていない。当時、筆者は海外に長期滞在中で、その映像を見たのは、数年後のことだ。しかし、レース当時45歳だった河内洋騎手(現調教師)が見せた執念の追い込みは、それがVTRだと分かっていても興奮を覚えざるを得なかった。
アグネスフライトがダービーを迎えたときの成績はレイデオロと同じ4戦3勝。デビューから同じ騎手が手綱を握っているところも一致している。
皐月賞には出走せず、京都新聞杯を3馬身差で圧勝したアグネスフライト。皐月賞1着、2着のエアシャカール、ダイタクリーヴァに次ぐ3番人気に支持されてダービーを迎えた。
それまで差し一辺倒の競馬をしていたアグネスフライト。2枠4番から好スタートを切るが、鞍上の河内騎手はいつも通り後方に控える。道中はすぐ前にエアシャカールを見る形で、最後方に控えると末脚を温存した。
向正面でペースが落ち着くと、先に仕掛けたのは武豊騎手のエアシャカール。4コーナーでは大外を回り、早くも先頭集団を飲み込む勢いで進出。それに必死についていく形で河内騎手とアグネスフライトが続いた。
エアシャカールが先頭に立ったのは残り200m地点。この時、大外を回ったアグネスフライトはまだ2馬身後ろにいた。しかし、河内騎手が渾身の左ムチを振るうと、アグネスフライトはこれに呼応。残り100mあたりからデッドヒートとなり、最後は苦しくなったエアシャカールをハナ差かわし、ゴールを迎えた。
ジョッキーとしてキャリア27年目。縁が深かった“アグネス一族”の馬で悲願を達成した河内騎手。ダービーポジションにこだわらず、最後方から末脚にかけ、最後の最後に差し切ったまさに神騎乗。府中に響き渡った「河内コール」をリアルタイムで見届けたかった……。