JRA福永祐一は「晩成タイプ」だった!? 「頭が真っ白」キングヘイローの悪夢以外にも……、4年間で3度の「ダービー男」が経験した3つの挫折とは?
迎えたダービー当日も、心身ともに最悪な状態。レースではスタート直後に手綱をしごいて先頭に立ってしまうと、気づいたときには後に引けない状況となり、最後の直線では後続勢にあっさりとかわされ、福永騎手のダービー初挑戦は14着に終わった。
「頭のなかが真っ白になった」とは当時の弁。後に「騎手人生で一番大きな失敗」とも語っている。
屈辱をバネに、切磋琢磨して迎えたデビュー4年目。福永騎手は1999年4月の桜花賞(G1)をプリモディーネで制覇。しかし念願の初G1制覇を成し遂げた翌週、悲劇が襲う。
返し馬の最中に落馬した福永騎手は、馬に背中を踏みつけられ、腎臓を摘出しなければならないほどの重症を負う。すい臓、脾臓も損傷して、肺や胃からも出血。肋骨も折れており、50日あまりも入院。騎手にケガはつきものとはいえ、身体的にも精神的にも大ダメージを負ってしまったのだ。
ところが福永騎手は驚異的な回復力で、7月に復帰。同時に精神力も磨かれたのか、同年12月の朝日杯3歳S(G1・当時)をエイシンプレストンで制している。
最後に10年区切りの年代別リーディングジョッキーを紹介したい。
1990年代は、武豊騎手が1421勝で堂々の王者に君臨。続く2000年代も、1572勝で武豊騎手がトップに立っていた。しかし2010年から2019年を振り返ると、1位は1159勝を挙げた、他ならぬ福永騎手である。
2020年は204勝のルメール騎手がリーディング1位も、福永騎手は134勝で3位。2021年も5月末まで54勝を挙げて3位につけている。
今年でデビュー26年目、5月末現在で通算2448勝を誇る福永騎手。「現役最強騎手」かどうかの議論はさておき、JRA史上に名を残す騎手であることに異論はないはずだ。
文=鈴木TKO
<著者プロフィール>
野球と競馬を主戦場とする“二刀流”ライター。野球選手は言葉を話すが、馬は話せない点に興味を持ち、競馬界に殴り込み。野球にも競馬にも当てはまる「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」を座右の銘に、人間は「競馬」で何をどこまで表現できるか追求する。