JRA伝説レコード「1:57.8」サッカーボーイの謎に迫る。1988年から「32年間」不滅、最有力は当時の函館が「洋芝ではなかった説」だが……
18日には函館の名物ハンデ競走・函館記念(G3)が開催される。毎年この時期になると注目を集めるのが、1988年にサッカーボーイが記録した1:57.8というレコードタイムである。
日進月歩で進化する昨今の日本競馬で32年間も破られていないこのレコードは、今や毎年重賞が施行されるコースでは最古となっている。
それだけでも十分に凄いことだが、サッカーボーイが函館記念を勝った1988年以降の32年間(2度の札幌開催を含む)では1分57秒台どころか、1分58秒台が出たことでさえ2度しかないのだから、これが如何に「異次元のレコード」なのかが窺える。
そんなサッカーボーイのレコードが伝説となっている要因として、真っ先に挙げられているのが、当時の函館が洋芝開催でなかったことだ。
欧州の馬場に近く、時計が掛かる洋芝が函館競馬場に導入されたのは1994年。それまでは野芝に畑の黒土を混ぜており、晴天が続くと乾燥して速い時計が出やすくなるというものだった。
例えば、先日のCBC賞(G3)で1999年のアグネスワールドが持つ芝1200mのレコードを更新した小倉開催では、他のレースでもレコードが出ていたようにレコードは馬の能力よりも、馬場コンディションの影響が大きかったといえる。
それと同じように、サッカーボーイのレコードも「特殊な馬場」に恵まれたという見解だ。
しかし、サッカーボーイが勝った函館記念が行われた1988年の8月21日に、函館記念と同じ函館・芝2000mで施行された未勝利戦のタイムは2:02.6。今年の7月4日に同条件で行われた4Rのタイムが2:01.4だったことからも、特別速い時計というわけではない。
また、函館記念の1つ前のレースで行われた漁火特別(当時900万下・現2勝クラス)の勝ち時計は、芝1800mの同日最速となる1:48.0。これは今年の7月4日に行われた巴賞(OP)と同タイムである。
これだけを見ても、サッカーボーイの芝2000m・1:57.8が馬場に恵まれたというだけで片付けることには、いささか疑問が残るのではないだろうか。
ではサッカーボーイとは、どういった馬だったのか。そこにはG1・2勝馬という存在だけに留まらない「異常な評価」があったことは間違いなさそうだ。