JRA「デビュー25年目」の苦労人が6年ぶり重賞制覇!半年休養の大ケガ乗り越えて掴んだ3勝目、 “波乱万丈”過ぎるジョッキー人生とは

 8日、函館競馬場で行われたエルムS(G3)は、4番人気のスワーヴアラミスが優勝。好位追走から直線、しぶとく伸びて激戦を制した松田大作騎手の手綱捌きも光った。

 松田騎手の重賞制覇は、実に6年ぶり3度目。デビュー25年目の“いぶし銀”騎手も、重賞勝利はわずか3勝。しかし、この3つの勝利を掴むまでには、“波乱万丈”過ぎる松田騎手のジョッキー人生が凝縮していた。

 1997年3月にデビューした松田騎手。同期には、秋山真一郎騎手や勝浦正樹騎手、すでに騎手引退して厩舎を構える武幸四郎調教師らがいる。栗東・崎山博樹厩舎の所属騎手として活躍後、2000年1月にフリー転身。翌年にはイタリア、05年にはアメリカへ武者修行に旅立つなど、常に自身の騎乗技術を磨いてきた。

 その努力が実を結んだのが15年3月21日。ファルコンS(G3)を14番人気のタガノアザガルで制して、当時デビュー19年、112戦目の挑戦で念願の重賞初制覇を果たした。これは2年前、交通事故で亡くした当時2歳の愛娘の命日の3日前の出来事。松田騎手にとっては、感慨深いメモリアル勝利となったはずだ。

 さらに15年8月2日には、クイーンS(G3)をメイショウスザンナで勝利して、重賞2勝目を挙げるなど、勝ち星も安定する。積み重ねてきた努力が実を結び、ついに花開くか……といった矢先、松田騎手は大きな“失敗”を犯してしまう。

 17年2月、運転免許停止中に無免許運転ならびにスピード違反で検挙され、逮捕は免れたものの、この事態を重くみたJRAが松田騎手に下したのは6ヶ月の騎乗停止処分。愛娘を交通事故で亡くしているにもかかわらず、自ら犯してしまった交通違反には、厳しい意見も出た。

 周囲からの信頼を失い、まさに“八方塞がり”となった松田騎手。騎乗停止中は、北海道まで赴いて調教をつけるなどして、信頼回復に務めた。

 当時の有名なエピソードといえば、17年3月の高松宮記念(G1)優勝馬セイウンコウセイとの一件だ。

 同馬のオーナー西山茂行氏は、自身のブログで主戦を任せていた松田騎手に言及。自ら招いた騎乗停止で、幸英明騎手に乗替わりG1制覇を果たした経緯を説明すると同時に、松田騎手はその優勝シーンをテレビの前で目の当たりにして、号泣したと記している。

 さらに西山氏は松田騎手の復帰明けには、「(自身の)持ち馬を用意する」と明記。当時の競馬ファンから、拍手喝采を浴びたことは記憶に新しい。

 こうして多くの人に支えられながら、反省の日々を過ごした松田騎手。ところが、苦労人ジョッキーにさらなる悲劇が降りかかる。今度は20年9月2日の調教中に落馬。半年間も休業する大ケガを負ってしまったのだ。

 胸鎖関節脱臼の重症を負った松田騎手は、リハビリ期間も含めて約半年間の休養を経て、年が明けた今年3月13日にようやく実戦復帰。2週間後の27日、名鉄杯を制して復帰後初勝利を飾った。

 以降、4月から6月まで未勝利が続くも、7月に入って3勝。8月初勝利となったエルムSの自身3度目の重賞勝利は、騎乗停止や大ケガを乗り越えてようやく掴み取った勝利だった。

 勝利騎手インタビューでは、コンビを組むスワーヴアラミスの強さを尋ねられると、「しぶとさですね」と即答した松田騎手だが、この“しぶとさ”こそ騎手人生を表現するキーワードといえないだろうか。

(文=鈴木TKO)

<著者プロフィール> 野球と競馬を主戦場とする“二刀流”ライター。野球選手は言葉を話すが、馬は話せない点に興味を持ち、競馬界に殴り込み。野球にも競馬にも当てはまる「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」を座右の銘に、人間は「競馬」で何をどこまで表現できるか追求する。

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