JRAエリザベス女王杯(G1)無敗馬の降着に抗議が殺到した15年前、「繰り上がり」優勝馬からアーモンドアイが誕生

 14日、阪神競馬場で開催されるエリザベス女王杯(G1)。今年で46回を数えるこのレースは、その歴史と比例して、これまで数々のドラマを見せてくれた。

 中でも2006年は、誰もが予想しない衝撃の結末となった。デビュー以来、無傷の5連勝で挑んだカワカミプリンセスが1着入線を果たすも、直線入り口で他馬の進路を妨害したとして降着。2着に入ったフサイチパンドラが、「繰り上がり」で女王の座に就く波乱の決着となった。

 翌日の日刊スポーツによれば、京都競馬場に寄せられた抗議電話は70件。それもそのはず、G1レースでの1着入線馬の降着は1991年天皇賞・秋(G1)のメジロマックイーン以来、当時では15年ぶり2度目の出来事であり、単勝オッズ2.7倍の1番人気を背負っていたカワカミプリンセスに巨額の金額が投じられていたことは、想像に難くない。

 12着に降着処分となった同馬は、牝馬限定G1のオークスと秋華賞で「牝馬二冠」を達成した、まさに“プリンセス”の名にふさわしい名牝。古馬勢と初対戦となったこのエリザベス女王杯でも、後続に0.2秒差をつけて圧勝しており、「勝負に勝って試合に負けた」とは、まさにこのことだった。

 対するフサイチパンドラも「繰り上がり」優勝とはいえ、こちらも初対戦となった古馬勢に先着を許さない好走をしている。この年は後味の悪いレースとして語られがちだが、この2頭とスイープトウショウを含めたゴール前の叩き合いを、エリザベス女王杯の“名場面”として覚えているファンも多いのではないだろうか。

 そしてG1レースで当時15年ぶりの“大どんでん返し”を演じた2頭の名牝の一生もまた、“波瀾万丈”に満ちていた。

 その後は6歳まで現役を続けたカワカミプリンセス。あれだけ強かった2~3歳時が嘘のように、古馬になった07年から不思議と勝てない競馬が続いたのは、この降着処分で何かが燃え尽きてしまったのか。“悲運”の名牝は、生涯3度もエリザベス女王杯に挑戦するも、08年の2着が最高位で、09年の9着を最後に引退している。

 一方のフサイチパンドラは、デビュー戦で6馬身差の圧勝劇を演じたものの、その後のレースは人気を集めながら惜敗することも多く、桜花賞(G1)では2番人気ながら14着に大敗していた。

 しかしこの「繰り上がり」勝利は、同じ関口房朗オーナーが4億9,000万円で取引したといわれるザサンデーフサイチの骨折が判明した直後だったことから、同馬はまさに“救世主”といえる存在に変貌。中1週で出走したジャパンC(G1)でも5着に入る健闘をみせた。

 古馬になった07年は札幌記念(G2)を制したほか、同年末の有馬記念(G1)をラストランにすることが発表されるも、レース前日に左寛跛行のため出走取り消しとなり、無念の現役引退。しかし同馬はその約10年後、今度は繁殖牝馬として再び注目を集めることになる。

 繁殖牝馬となってから、09年に誕生した初仔を含めて9頭を出産。そのうちの1頭、あのアーモンドアイが18年1月にシンザン記念(G3)を制したことで、産駒が重賞初制覇を達成した。

 ところがフサイチパンドラの方は、17年10月に既に死亡。翌18年4月にアーモンドアイが桜花賞を制してG1馬の母となるも、それは死後の出来事となってしまった。

 自身が大敗した桜花賞を、自ら産んだ仔が制して、死んだ母にG1勝利を捧げるとは、これぞ競馬の「血のドラマ」といえるだろう。エリザベス女王杯「繰り上がり」優勝で名を刻んだ名牝の血は、間違いなく9冠馬に継承されており、そのアーモンドアイが産み出す産駒もまた、フサイチパンドラの血を引き継いでいることは覚えておきたい。

(文=鈴木TKO)

<著者プロフィール> 野球と競馬を主戦場とする“二刀流”ライター。野球選手は言葉を話すが、馬は話せない点に興味を持ち、競馬界に殴り込み。野球にも競馬にも当てはまる「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」を座右の銘に、人間は「競馬」で何をどこまで表現できるか追求する。

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