JRAは”浜中俊問題”を機に降着制度を見直すべき。世界一「馬券が売れる国」だからこそファンが納得できる「日本の競馬」に適した独自ルールの再建を
その象徴たる点は、やはり日本の競馬がギャンブルとして成り立っている面が非常に強いからだ。現行の降着制度を推奨する国際競馬統括機関連盟の中心となるフランスやイギリスといった欧州各国の競馬以上に、ファンが馬券を通じて資金を投資する傾向がある以上、必然的に顧客全体の重要度は増す。
つまり、日本競馬には他国よりも投資者がより納得できるような厳正、かつ公正なる商品(レース)を提供する必要性と責任があるということだ。
その責任を果たす上で、現行の降着制度が不十分である可能性が極めて高いのは、2013年以降の4年間で数々の立証が成されたのではないだろうか。
もとより日本が現行の降着制度に変更したきっかけは、日本の従来の降着制度が「世界基準に対して厳しすぎる」というものだった。だが、例えそれが事実であったとしても、他国と比較しギャンブルという側面が極めて強い日本競馬を管理するルールとしては、従来のままでもよかったのではないかという疑念は拭えない。
無論、”旧ルール”採用時にも降着制度は何度も大きな波紋を呼んできた。しかし、「やったもん勝ち」とさえ囁かれる現状は、それ以上に深刻な問題を抱えている気がしてならない。
いきなり旧ルールに戻すことは、現実的に考えて難しい。だが、今回の浜中騎手の一件を契機に、今一度現行の降着制度を見直す必要性が高まっていることは紛れもない事実だ。
したがって、旧ルールと新ルールの長所を上手く取り込み、独自の文化を持つ日本競馬にアジャストした降着制度に改めることは、今のJRAに課せられた急務ではないだろうか。”不可解な理由”でファンが離れる現状に手を打たないのは、自分たちの首を絞めているだけだろう。
(文=浅井宗次郎)