JRA「後ろからは何にも来ない」春二冠合計18馬身差、史上初“幻の三冠牝馬”を襲った悲劇……スターズオンアースの三冠は47年ぶりに幻となるのか
先月29日の日本ダービー(G1)ではドウデュースが勝利し、これで3歳世代の戦いはひと段落。ただ一方で、クラシックで戦った3歳世代に関しては、あまり歓迎できない話題が散見している。
今年の日本ダービー出走馬では、ジオグリフとマテンロウレオの骨折が判明、2着に好走したイクイノックスも脚部に大きなダメージを負っていることが報じられた。
こうした故障の話題は牡馬だけに留まらず、牝馬では二冠を達成したスターズオンアースの骨折が判明してしまった。
スターズオンアースはオークス(G1)を制覇した後、外厩先である宮城県の山元トレセンへ移動。そこで受けた検査で右前脚の剥離骨折が発覚した。この段階では軽症の診断であり秋の三冠挑戦には問題ないと思われていたが、美浦トレセンで受けた精密検査では左前脚にも同様の骨折を負っていることが判明、予後を考えて手術を受けることとなった。
幸いにも2日に受けた手術は無事に完了したようだが、術後が良好でも全治3か月は要するという診断。復帰は早くても9月ごろであり、三冠のかかる秋華賞(G1)が行われる10月半ばに間に合うかどうかは不透明な状況にある。
仮に秋華賞に出走できたとしても、本来のパフォーマンスを発揮できるとは限らない。昨年のオークス馬・ユーバーレーベンはレース後に屈腱周囲炎を発症、軽症であったために秋華賞への出走は叶ったが、前哨戦を使うことができなかった。レースでは5か月というブランクや脚部不安による仕上がり不足が影響したのか、本来の走りは見せることができず13着に敗れてしまっている。
スターズオンアースの父であるドゥラメンテは皐月賞(G1)、日本ダービーの二冠を達成したものの、後に両前脚の骨折が判明し三冠挑戦は幻に。翌年春に復帰を果たすものの再び故障を発生し、4歳での引退を余儀なくされている。
父と同じく、二冠達成後に判明した両前脚の骨折。父を彷彿とさせる圧巻の末脚で春二冠を達成したスターズオンアースであるが、脚部不安という弱点までも父から譲り受けてしまったようだ。
47年前、テスコガビーの悲劇
ファンとしては無事に秋華賞へ出走してほしい限りだが、仮に牝馬二冠を達成しながらも三冠目の挑戦が叶わないとなると実に2度目の例となる。長い日本競馬の歴史の中でも「幻の三冠牝馬」は唯一の存在であり、それは47年前のテスコガビーまで遡る。
テスコガビーは桜花賞で史上唯一、10馬身以上の差があったことを示す「大差」で勝利を収めた馬であり、そのタイム差は1.9秒。あまりの圧勝ぶりに「後ろからは何にも来ない!」と3度も繰り返した杉本清アナウンサーの名実況は語り草となっている。
テスコガビーは続く4歳牝馬特別(現フローラS)こそ3着に敗れたものの、オークスでは圧巻の8馬身差での逃げ切り勝ち。史上5頭目となる牝馬クラシック二冠を達成した。
当然ながら牝馬三冠を目指し、現在のエリザベス女王杯(G1)の前身にあたるビクトリアカップを目指すものと思われた。しかしテスコガビーはレースへの調整を進める9月に右前脚に外傷を負い、その後10月には右後脚の捻挫を発症。史上初となる牝馬三冠馬の誕生は幻となってしまった。
その後のテスコガビーにまつわる出来事はまさに「悲劇」であった。
オークスから約1年後の1976年5月にオープン競走で復帰を果たすが、馬体重が16kg増と絞り切れておらず6着に惨敗、さらに再び故障を発生してしまう。繁殖牝馬としての期待もあり、大事をとって引退が検討されたが、オーナーの希望により現役続行を目指すことに。しかし復帰を目指し調教が行われていた1977年1月、テスコガビーは心臓発作でこの世を去ってしまった。
「幻の三冠牝馬」として繁殖でも期待をされながらも、5歳という若さで亡くなり産駒を残せなかったテスコガビー。その馬生は同じく「幻の三冠馬」と言われ、種牡馬として期待を受けながらも昨年、僅か9歳にしてこの世を去ったスターズオンアースの父・ドゥラメンテと重なる部分がある。
スターズオンアースは父の無念を晴らす三冠に挑むことはできるだろうか。47年前の「幻の三冠牝馬」テスコガビーの悲劇とも呼べる運命を、スターズオンアースには辿ってほしくはない。まずは無事に怪我を治して、再び元気な姿でターフを駆け抜けてくれることを願うばかりだ。
(文=エビせんべい佐藤)
<著者プロフィール>
98年生まれの現役大学院生。競馬好きの父の影響を受け、幼いころから某有名血統予想家の本を読んで育った。幸か不幸か、進学先の近くに競馬場があり、勉強そっちのけで競馬に没頭。当然のごとく留年した。現在は心を入れ替え、勉強も競馬も全力投球。いつの日か馬を買うのが夢。