武豊騎手が天皇賞・春の距離短縮に「反対」世界競馬の潮流に反し”前時代的”な「3000m級のG1」を守り続けることの意義
主に世界的権威を持つ英国ダービーとの差別化を図るためだが、距離の「短縮」に踏み切ったという面では、1国のダービーの距離を変えてしまうほど2000mを中心とする世界の流れは大きいといえるのかもしれない。
その一方で、世界的に淘汰されつつあるのが3000m級のレースだ。
実際に国内G1で最長の距離を誇る天皇賞・春は、以前から競馬サークル内外で距離短縮論が囁かれている。例えば2013年には、日経新聞の野本賢一記者が『週間競馬ブック』で「3000m級のG1廃止論」を展開。競馬ライターの水上学氏が自らのブログ内で反論するなど、小さくはない波紋を呼んだ。
実は、日本は古くから長距離大国で1984年のグレード制導入以前は、現在東京の2000mで行われている天皇賞・秋も、春と同じように3200mで行われていた。しかし、1981年に創設されたジャパンCにおいて、日本馬が外国馬に歯が立たなかったことから「スタミナよりもスピード」という論調が高まって距離短縮が決定した過去がある。これもまた、世界の主流に従う動きの1つといえるだろう。
そして、春の天皇賞に対しても距離短縮が叫ばれる中、2000mの大阪杯が新設された影響は極めて大きいといえる。これにいち早く反応したのが競馬の第一人者・武豊騎手だ。
武豊騎手は『週刊大衆』で連載しているコラム内で、天皇賞・春の距離短縮に関し「賛同することはできませんでした」と語っている。
そこには今年の春で155回目を迎える伝統レースの条件を、簡単には変えてほしくないという騎手会長としての思い。そして、騎手として腕の見せ所でもある長丁場のレースを残してほしいという一騎手としての心情もあるようだ。
もちろん武豊騎手としても2000mを重視する世界的な潮流は深く理解している。いや、日本のホースマンの中で最も「世界の競馬」を肌で感じているのは、このレジェンドに他ならない。
武豊騎手は以前、3200mの天皇賞・春に対して「時代遅れの感がある」と認めている。その上で、ジャパンCや日本ダービーと同じ2400mにすれば、もっと豪華なメンバーが集うはずで「一度みんなで考えてみる必要がある」とも語っている。これらは正論だが、騎手としての心情は、先述したようなまた別のところにあるのだろう。