スプリンターズSで散った幻の短距離王…ケイエスミラクルの早過ぎた8か月
先日、Twitterのトレンドには懐かしの名馬の名前が挙がっていた。その馬はケイエスミラクルである。どうやら大人気ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』(Cygames)内に登場する「サポートカード」と呼ばれるアイテムとして実装されたことが、話題の発端となったようだ。
ケイエスミラクルといえば1991年の短距離戦線を大いに賑わせた1頭であり、往年のファンにとっては馴染みのある名前ではないだろうか。このタイミングでの登場は、今週末のスプリンターズS(G1)を意識してのものかもしれない。
ケイエスミラクルは、スプリンターズSに出走経験のある1頭なのだが、その結果は悲劇として後世に語り継がれている。
スプリンターズSで散った幻の短距離王…
ケイエスミラクルは3歳(旧4歳)の4月という遅れた時期にデビューを迎えると、続く5月の未勝利戦で初勝利を挙げる。重賞挑戦を目指して連闘で挑んだわらび賞(500万下)は2着に敗れてしまったが、デビューから約20日で3戦というローテーションを考えれば致し方ない面もあったといえる。
仕切り直して迎えた6月の札幌競馬、約1か月の休養を挟んだケイエスミラクルは快進撃をみせる。石狩特別(500万下)、藻岩山特別(900万下)では、着差のつきにくいスプリント戦ながら、それぞれ4馬身差、9馬身差で圧勝した。更に石狩特別はレコードを記録するオマケ付きであり、この2戦で一躍スプリント界の新星として注目の存在といわれるようになった。
秋初戦は格上挑戦のセントウルS(G3・当時)で大敗を喫したものの、次走のオパールSでは一転してレコードを記録する勝利を収める。このレースで賞金を加算してオープン昇格を果たし、満を持して大舞台へと挑むこととなる。
次走はスワンS(G2)を選択し、一度は跳ね返された重賞へ再び挑んだケイエスミラクル。この年のスワンSには同年の安田記念(G1)を制したダイイチルビーを筆頭に、ダイタクヘリオス、バンブーメモリーといった短距離の強豪が多数エントリーしていた。
重賞再挑戦のレースとしては強豪ひしめく厳しい相手関係と思われたが、なんとケイエスミラクルは日本レコードを記録する快走でダイイチルビーをクビ差で凌ぎ勝利。見事に重賞初制覇を飾り、短距離界の主役を張るに相応しい実力を証明してみせた。
続いて挑んだマイルCS(G1)では、前走で下したダイタクヘリオス、ダイイチルビーの後塵を拝し3着に敗れたが、距離に不安のあるマイル戦、なおかつ初のG1挑戦でこの結果であれば健闘したともいえるだろう。
次走こそはG1タイトルを奪取するべく、ケイエスミラクルは当時唯一の短距離G1として12月に行われていたスプリンターズSへと挑むことになる。
デビューから8か月で3度のレコード勝ちを記録し、スワンSでは当時の短距離界の大物を撃破した新星が、最も得意とする1200m戦ということもあり、大本命として1番人気の支持を受けた。
レースでは抜群の手ごたえで4角から先団に進出し、後方から猛然と追い上げるダイイチルビーとのマッチレースに期待が高まる展開となる。しかし直線に入って間もないところで、ケイエスミラクルは突如失速。ライバルと目されたダイイチルビーと入れ替わる形で後退し、そのまま競走中止となってしまった。
この急失速の要因は左第一趾骨の粉砕骨折であり、ケイエスミラクルは予後不良でその後の馬生が絶たれることに。
デビューから8か月で10戦という過密な臨戦過程が響いたのか、3度のレコード勝利が見えない負担となっていたのか、その原因は定かではない。大きな夢を背負った短距離界の超新星の脚は中山の直線で砕け、夢見たG1制覇は幻となってしまった。
成績だけ見れば、ケイエスミラクルの重賞制覇はスワンSの1勝のみであり、この字面の記録だけでは、特筆するほどではないかもしれないが、その閃光のような快進撃を鑑みれば、記録よりも記憶に残る名馬であったといえるだろう。
こうした過去の、特に記録の陰に隠れたケイエスミラクルのような名馬が『ウマ娘』をキッカケに再びフォーカスされるのは競馬ファンにとっても嬉しい限りである。今週末のスプリンターズSを迎えるにあたり、幻の快速馬・ケイエスミラクルの功績に思いを馳せたいものである。