引退トーセンレーヴはなぜ種牡馬になれなかったのか? ディープインパクト最後の初年度産駒の軌跡を追う
2011年2月の新馬戦から数えて計33戦、数度の長期休養を挟みながらも無事に走り抜けたトーセンレーヴ(牡9、栗東・池江泰寿厩舎)が、その長い現役生活にピリオドを打った。今後はオーナーの島川隆哉氏が運営する北海道勇払郡のエスティファームで乗馬となる予定だ。
JRA騎手になる前のルメール騎手からブーツ事件で有名なブドー騎手まで、合わせて13人の外国人騎手が騎乗した珍しい経歴や、152頭を数えるディープインパクト初年度産駒の現役最後の1頭であることなど、話題性に事欠かない競走馬人生を送った同馬。2012年のエプソムC優勝という実績が霞むほど、様々な意味で”記録より記憶に残る”馬だったといえる。
クラシックでの活躍を嘱望された3歳時。青葉賞3着から連闘でプリンシパルSを制し、半ば強引とも言えるローテーションでダービー出走を果たしたことも記憶に新しいが、最も驚かされたのはやはり2015年冬のオープン戦連勝、そして「まさか」の連闘で挑んだ有馬記念だろう。
エプソムC制覇以来なかなか勝鞍に恵まれず、競走馬としての旬の時期を越えたと思われた7歳冬に、トーセンレーヴは突如として全盛期の輝きを取り戻す。中京記念を12着に大敗した後に約4カ月の休養を挟むと、11月のアンドロメダS(オープン、京都芝2000m)を優勝。前回の勝利から3年5カ月のブランクを越え、念願の通算7勝目を挙げた。
競馬において高齢馬はなかなか連勝できないものだが、第2のピークを迎えたトーセンレーヴはそんな通念をアッサリと覆す。約1カ月後のディセンバーS(オープン、中山芝2000m)では、中団から上がり最速の末脚を繰り出してアッサリ連勝。59キロの酷量すらまったく苦にしなかった。