あまりに「残酷」な現実を突きつけられたC.ルメール騎手。募らせ続ける日本ダービーへの「思い」とは
「史上最強世代」の頂点を決める一戦として、例年を超える大きな盛り上がりを見せた今年の日本ダービー(G1)。主役の一人を演じきったC.ルメール騎手は、最後の最後で勝利の女神に見放され、僅かな差で辛酸をなめた。
JRA騎手として、日本で通年騎乗することを決意した時から「日本で最も勝ちたいのはダービー」と公言してきたフランスの名手。日本の騎手として2年目を迎えた今年の日本ダービーは「ほぼルメール騎手の手中にあった」と述べても、決して過言ではなかった。
何故なら、それは単にルメール騎手がサトノダイヤモンドという皐月賞(G1)で1番人気に推されるような超有力馬に騎乗していたというだけではない。ましてや、サトノダイヤモンドがダービーを「僅か8cmの差」で惜敗しただけでもない。
最も大きな理由。それはルメール騎手がクラシック第1弾の皐月賞を前にして、サトノダイヤモンドだけでなく、今年の日本ダービー馬マカヒキに騎乗する選択肢があったことだ。
きさらぎ賞(G3)を持ったまま圧勝し、その強さを異次元とさえ評されていたサトノダイヤモンド。そして、弥生賞(G2)でそれまで世代を牽引していたリオンディーズとエアスピネルをねじ伏せたマカヒキ。
どちらに騎乗しようとも、選ばなかった方が「最大のライバル」になるであろうことは、両頭の手綱を通じて、ルメール騎手自身が最も深く感じ取っていたはずだ。
当然ながらルメール騎手の中にも様々な葛藤があっただろうが、競馬界全体がその選択に注目する中、最終的に選んだのはサトノダイヤモンドだった。
決め手となったのは、やはり日本ダービーに対する思いだった。まだ、皐月賞を戦う前であったにもかかわらず、ルメール騎手はサトノダイヤモンド選択した理由として「(東京の)距離2400mへの対応力を考えると、マカヒキよりもサトノダイヤモンドのほうが上」と言い切ったのだ。
同じ3歳牡馬クラシックの皐月賞を無視してとまで述べるつもりはないが、早くから「目標は日本ダービー」と皐月賞を100%で挑むつもりがなかったサトノダイヤモンドを選んだということは、やはりそれだけ日本ダービーに対する強い思い入れがあったからに他ならない。
だが、ルメール騎手の思いは日本ダービーの最後の最後、土壇場で、その手をするりと抜けていった。
日本ダービー最後の直線、それも残り200mを切ったところ。そこまで「完璧」といえる騎乗で、サトノダイヤモンドを2番手まで導いていたルメール騎手。すぐ前を行くエアスピネルとの手応えの差は、歴然だった。
ところがその直後、マカヒキが強烈な勢いで馬群を割り、サトノダイヤモンドは大きく右へ逸れた。
まさに一瞬の出来事であり、その次の瞬間には、ゴール直前でマカヒキがサトノダイヤモンドの前を、そして何よりも先頭を走っているという、ルメール騎手にとって「最悪の展開」であり、あまりにも残酷な瞬間だった。
ただ、それは同時に、ルメール騎手が最も強いと信じているサトノダイヤモンドが敗れる状況の中で「最も懸念されていた展開」だったのではないだろうか。マカヒキの強さは誰よりもルメール騎手自身が深く理解し、同時に最も恐れていたのだから。