JRA池添謙一「2度結婚」「DV不倫」よりも紆余曲折の騎手人生。オルフェーヴル三冠→外国人で凱旋門賞、勝負強さは当代随一だが……
その後デュランダルでスプリンターズSとマイルCSを制覇。スイープトウショウで秋華賞・宝塚記念・エリザベス女王杯に優勝。トールポピー、ドリームジャーニーでGIレースを勝ち、2010年、遂にオルフェーヴルと運命の出会いを果たす。
稀代の癖馬と呼ばれたオルフェーヴルで3歳クラシック三冠を完全制覇、暮れの有馬記念も勝利し年間GIレース6勝のJRAタイ記録を達成した。翌年に宝塚記念を完勝し、その圧倒的な強さから凱旋門賞も活躍が期待されたが、そこでまさかの事態が起きる。三冠コンビながら、凱旋門賞でまさかの乗り替わりとなったのだ。
阪神大賞典での世紀の逸走、そして天皇賞(春)での惨敗などがあったものの、多くの競馬ファンはこのコンビが解消されることはないと思っていた。しかし陣営は残酷にもクリストフ・スミヨンへの乗り替わりを決断。結果、凱旋門賞は直線で抜け出し、勝利寸前のところで大きく内に寄れて2着に惜敗。もし同馬を知りつくす池添が乗っていたら勝っていた、という声もあったが、それはテレビでレースを見ることしかできなかった本人にとって屈辱的な見方であろう。
帰国したオルフェーヴルは池添が手綱を取り、ジャパンカップ2着、大阪杯1着。そしてリベンジが期待された2年目の凱旋門賞はまたしても乗り替わりとなり、フランスで同馬の手綱を取ることは叶わなかった。その凱旋門賞も鞍上は昨年と同じスミヨンが乗ったものの、勝ったトレヴに完敗の2着。帰国後の引退レースとなった有馬記念は、再び池添騎手とのコンビで圧勝。2着に1.3秒差は過去を見ても例のない圧倒的な着差。馬上の池添は、勝った喜びだけでなく、凱旋門賞に騎乗できなかった悔しさが同時にこみ上げたのではないだろうか。
2013年の池添は、オルフェーヴルで凱旋門賞に挑戦できなかったショックもあってか、騎乗数も減少し、前年の59勝から38勝へ大きく成績を落としている。この成績は軌道に乗り始めた2000年以降もっとも低い数値だ。その後は建て直し、2016年には史上33人目となるJRA通算1000勝を達成。そして2018年は開催最終日の28日を残して、2011年以降もっとも勝ち星の多い60勝を記録している。加えて勝率で見れば過去15年で最も高く、デビュー20年を迎えて円熟期に入ったと見える。