ウオッカ死す「ダイワスカーレットとの激闘」「64年ぶりダービー牝馬」平成の終わりに「牝馬時代」のパイオニアが別れ
JRA最多タイの7勝を挙げたウオッカ(牝15歳)が、配合のための滞在先であったイギリス・ニューマーケットにおいて、病気(蹄葉炎)のため死亡したことがわかった。
ウオッカは父タニノギムレット、母タニノシスター、母の父ルションという血統。2006年に角居勝彦厩舎でデビューすると、同年の阪神JF(G1)を勝って2歳女王に。3歳の桜花賞では終生のライバルといえるダイワスカーレットに敗れるも、その後陣営は牡馬混合の日本ダービー(G1)を選択。あまりにも鮮やかな末脚で64年ぶり牝馬のダービー制覇を果たした。
その後3歳牝馬路線ではダイワスカーレットの後塵を拝するも、4歳以降はヴィクトリアマイル、安田記念、天皇賞・秋、ジャパンCと、府中古馬G1を完全制覇。まさに「府中の女王」として君臨。6歳で引退後、2011年に顕彰馬にも選出された。
昨今、世界の競馬界のトレンドでもある「牝馬時代」だが、日本におけるその始まりはウオッカだ。4歳以降は東京競馬場以外では好成績を残すことはできなかったが、その東京での走りはまさに牡馬顔負け。雄大な馬体で牝馬ということを感じさせない力強い馬だった。
ベストレースはやはり日本ダービーだろうが、ファンの間で思い出深いのが2008年の天皇賞・秋だろう。ウオッカとダイワスカーレットの「牝馬頂上決戦」に、同年の日本ダービー馬ディープスカイも参戦した豪華決戦。ダイワスカーレットが高速ラップを刻んで逃げ、直線ではウオッカが外目から強襲。ダイワスカーレットも一度は垂れたが盛り返し、ほぼ同時にゴールイン。肉眼ではわからないレベルの大接戦は、ハナ差2cmでウオッカの勝利。ディープスカイは3着。ここからブエナビスタ、ジェンティルドンナ、そして現在のアーモンドアイと続いていく「牝馬の時代」を高らかに宣言したレースといえる。