武豊「伝説」サンデーサイレンスを語る。軽め調教「藤沢流」の誕生、社台グループの大成功……世紀の大種牡馬がもらした革命
「今や“藤沢流”という言葉が軽めの調教の代名詞のようになっていますが、藤沢調教師が軽い調教を主流にするようになったのは、サンデーサイレンス産駒の登場がきっかけだったようです。
鼎談では『軽めの調教をしておけば勝手に走ってしまう』『昔のようにバシバシ稽古をすると壊れてしまう』と、サンデーサイレンス産駒が日本の競馬を変えたと語っています」(競馬記者)
また、武豊騎手はジョッキーの視点で「末脚を溜める」ことが大事になったと語っている。同時に馬場コンディションの管理能力が向上し、後ろから末脚に懸ける競馬が有効になったため「サンデーが出てきたことでポジションはあまり関係なくなった」との見解を示している。
実際に武豊騎手は、サンデーサイレンスが日本競馬界に旋風を巻き起こす以前から第一線で活躍していたが、スーパークリーク(菊花賞、天皇賞・春秋)やメジロマックイーン(菊花賞、天皇賞・春連覇、宝塚記念)に代表されるお手馬の多くは先行馬であり、競馬全体の主流もまた「先行」だった。
逆にサンデーサイレンス産駒が登場した後は、武豊騎手が産駒で初めてG1を勝ったダンスパートナー(オークス)、弟のダンスインザダーク(菊花賞)を始め、初のダービー制覇を成し遂げたスペシャルウィーク(日本ダービー、天皇賞・春秋)や、近代競馬の結晶と謳われたディープインパクト(クラシック三冠、天皇賞・春、宝塚記念、ジャパンC、有馬記念)など、多くが中団以降からの競馬を得意とする「差し」「追い込み」である。
藤沢調教師が「武ジョッキーの技術を活かせる種牡馬だった」と語っている通り、早くから欧州遠征を繰り返し世界レベルの「溜める」技術を身に着けていた武豊騎手と、激しい気性から産駒の多くが爆発的な末脚を秘めるサンデーサイレンスとの相性は抜群だったようだ。
また、吉田氏のオーナーブリーダーから見たサンデーサイレンス成功の要因も非常に興味深い。